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心の中が歪んでいることは自覚していた。いつからか、何がきっかけだったのかと問われたら、その答えは五年前の他愛のない小さな失恋なのだろう。
自分の元を去っていった恋人を忘れられないのではない。そんなものはどうでもいい。ただ、どうせ失ってしまう関係に価値を見出せなくなったことが問題だった。
自分の人生に誰もいらないとは思っていない。けれど傍にいてほしい人をどんなに欲しても、それは続かなかった。坂城の歪んだ心と行動は人を遠ざけることしかできなかった。
それでも永遠に添い遂げられる誰かを求める心が半分、もう誰もいらないと拒絶する心が半分。それを持て余している頃に颯馬と出会った。
どんなに拒絶をしても颯馬は坂城を諦めてはくれなかった。けれどその気持ちに応えるには、まだ颯馬の心は不安定だった。
だから。
だから作り上げようと思った。たとえそれが周囲からは悪とみなされることだとしても、心の平穏を保ち、欲しいものを手に入れるために、坂城は颯馬をひとつひとつ染め上げていった。
坂城の元から離れられないように。
その心が決して揺らぐことのないように。
いつまでも、ずっと、坂城のことを欲する心を颯馬に植えつけ続けていくのだ。
「――……」
夕暮れの太陽がビルの向こうへ沈んだ。窓から外を眺め、煙草をふかしていた坂城は口内の煙を肺まで吸い込んだ。
煙を吐きながら室内へ視線を戻す。ベッドの上には颯馬が使ってぐちゃぐちゃにしたままの掛布団が乗っている。ソファには颯馬の読みかけの漫画雑誌が置かれているし、テーブルの上には颯馬が気に入って買ってきたスナック菓子が未開封のまま置いてある。けれど、彼の姿はない。
帰りたくないと颯馬が言葉にすることはなかったが、こうやって自分の痕跡を残し、すぐにでも帰ってくるつもりがあるという意思表示をしていくのはいじらしい。颯馬が残していったものをひとつずつ目にして、坂城はふっと笑った。
同時にテーブルの上で携帯電話が鳴る。足を進め、灰皿で煙草を消し、その手で携帯電話を持ち上げて耳に押し当てる。
「どうした?」
相手の名を確認するまでもなかった。何となく、すぐに電話がかかってくる予感のようなものがあったからだ。
『……先生』
予想通りの声が聞こえた。
「颯馬、もう自分の部屋に着いたのか?」
『……自分の部屋なんか、もういらないよ』
言葉を紡ぐ颯馬の向こうから風の音が聞こえる。屋外にいるのだろう。口元を笑ませながら坂城はゆっくりと玄関へ向かっていく。
「今どこにいるんだ?」
『前に、初めて先生にキスされたところ。覚えてる?』
「あの川沿いの遊歩道?」
『そう、そこにいる』
玄関で靴を履きつつ、棚から車のキーを取る。
「何でおまえ、そんなとこにいるんだよ。結構遠いだろ、俺の部屋からもおまえの部屋からも」
どうやって行ったの、と問うと、走った、と返ってくる。
『先生』
「ん?」
『迎えに来てよ』
「……」
わざと一瞬の間を空けて口を開いた。
「おまえ、実家に帰るんじゃないの?」
『……帰らないよ』
それは、今回の帰省はやめにしたという響きではないように思えた。坂城の予感は次の颯馬の言葉で確信に変わる。
『もう絶対に帰らない』
「……わかった。そこにいろ、すぐに行くから」
待ち望んでいた時が来た。
通話を終え、坂城はようやく安堵の息を吐いた。
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