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『それでさぁ、颯馬、聞いてる?』  亮介の声で我に返った。颯馬はゆっくり立ち上がり、北向きの窓辺に置かれたオーディオコンポへ歩み寄る。 「うん、聞いてる。何?」 『今度の土曜って空いてる?』  CDはあらかじめセットされている。颯馬が気に入って毎日聴いているので、ずっと中に入れっぱなしだった。  電源を入れて再生をすると、やわらかくて優しい、けれどどこか寂しげな旋律が颯馬の耳をくすぐっていく。  坂城がこの部屋を留守にしている時はいつもこの曲を聴いている。坂城に包まれているような気分になれるから。  この曲は、坂城が何度もピアノで弾いてくれるあの曲だ。 『お、それ、その曲知ってる!』  電話の向こうまで旋律が届いたのだろう、亮介が弾んだ声で言った。 『古い洋楽だよな。曲名は確か……』 「――――」  小さく笑いながら、颯馬はその曲の名前を答えた。そうそう、いい曲だよなー、と亮介が相槌を打つ。  最近になってようやく颯馬はこの曲の名前を知った。坂城の留守中にCDを聞き漁っている時に偶然見つけたのだ。  曲名を忘れた、歌詞も曖昧だと坂城は言っていたが、それも嘘だと思った。英語を習いたての中学生でも知っているフレーズだし、曲名がそのままサビの歌詞でもある。その他の歌詞が曖昧だったとしても、大人の坂城が曲名を忘れるとは思えなかった。  これは、ただひとりの相手を乞う歌だ。おまえなしでは生きていけない、と何度も何度も繰り返す歌。  今はこの曲が颯馬の坂城への想いの証となっている。 「ごめん、何だっけ、今度の土曜日?」 『そう、空いてる?』 「何で?」 『この前マツと会って、またみんなで高校に顔出そうかって話になってさ。颯馬は来られそう?』 「……」  ひとつの間を置いて、颯馬は緩く首を振った。 「ごめん、行かない」 『行かない? 行けないじゃなくて?』 「……ごめん」  颯馬の言葉で不機嫌になったのか、亮介の声が少しだけ鋭くなる。 『何で。稔やシロやんに会って、みんなで騒ぎたくない? またマツがシロやんに連絡してみるって言ってるんだけど』 「……もう、必要ないから……」  わざわざ会いに行かなくても坂城はここへ帰ってくる。颯馬のために、颯馬の元へ。  亮介の長い溜め息が聞こえた。 『そ、っか、わかった。じゃあマツにもそう伝えておくから』 「うん、ありがとう」 『……年末とか、みんなで同窓会みたいなことしようとかいう話もあるんだけど……』 「……連絡もらえたら考える」 『……』  今日のこのやり取りを坂城に話せば、そろそろ彼らとの連絡にも応えるなと言われるだろう。そうして颯馬が失くしていくものを、坂城がすべて埋めてくれる。  その心地よさがあるから、それでいい。何もいらない。必要ない。 『颯馬、ちょっと変わったな』 「そうかな」 『そうだよ。高校の頃はもっとあれやりたいとか、あの人に会いたいとか、そういうのばっかりだっただろ。今の颯馬、ちょっとらしくないよ。必要ないとか簡単に言うような奴じゃなかった』 「……今の方が、一番俺らしいって言ったら?」 『は?』 「あれやりたい、あの人に会いたいって頑張った結果、一番『らしい』自分に落ち着いたんだよ。俺はこれでいいし、こういう俺が今、認められてるから」  自分にも、坂城にも。 『……よくわかんないけど、とりあえずまた連絡するわ。颯馬も、土曜行きたくなったら連絡して』 「うん」 『それじゃ、またな』 「うん」  通話を終えて大きく息を吐いた。最近は携帯電話というものもあまり好きではなくなってしまった。以前は坂城と繋がる唯一の方法で大切なものだったが、ここで暮らすようになった今、坂城と他の連絡手段があるのならこんなものはいらないとさえ思う。  オーディオコンポの横へ携帯電話を置き、颯馬はソファへ戻って横になった。  見上げた壁掛け時計が示している時刻は四時十五分。あとどれくらいの時間が経てば坂城は帰ってくるだろう。  瞼を閉じると、すぐに深い眠りに落ちていった。

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