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第6話(社会人)

どうにか倉田は吉武を見送ると、すぐさま席に戻り座り直す。 机の下で恐る恐る一方的に渡された名刺を見ると、そこは白紙で裏に鉛筆で書き殴られた文章があった。 "五月十六日。俺は誰かに見られてた。そして、その誰かはだんだん距離をとって、いなくなった” 一方的な残し手紙のようにして綴られた文章にまた、その時の映像が流される。 華奢な女の上に乗っかり苦しそうな、詰まった声で揺さぶるあの光景。 動物みたいで生々しくて、性行自体にトラウマが残った。 好きな人だったけど、想いすら伝えてなかったけど、倉田にとってかけがえのない存在だった。 脈打つ鼓動を無視して、その日の就業時間を迎え、何とか帰路につく。 今日は定時に帰れることになり、六時頃の空は十一月の冷え込む気温と比例して一ヶ月前よりグッと暗くなっている。 「さっきぶり、倉田」 じゃり、分かりやすく足音を立てて近づいてくるのは、さっきの客――。 「あ、ああ、さっきのお客様ですね。先程のご契約内容にご不明な点でもございましたか?」努めて仕事モードで対応する。 「不明な点・・・・・・ねぇ。強いて言うなら、俺を忘れているはずがないのに、どうして忘れたふりなんかするのか不明という点はあるんだけど?久々にあって、もっとキレイになってるなと感傷的になる暇もなく円滑に仕事回されたら、同級生としても傷つくな」 「・・・・・・」 「なんでそんなに気まずそうなの」 倉田はそれを言われてハッとした。 確かにあの文章については、見てしまったことに弁明の余地はないほど相手も勘付いていた。 しかし、それだけのこと、ということにしても何らおかしなことはない。 せいぜい、はずかしかった、とか、幻滅されたかと思った、など友人目線で話してくれる。 その出来事にある倉田の中核、いわば「倉田の想い」までは気づかれない。 後ろめたい気持ちや好きだという気持ちは抑えれば済む話なのだと、吉武のやけに凛々しくなった眼で意を決した。 「ごめんな。なんか久しぶりすぎて、照れてしまった」 「俺のこと、本当は覚えてるよな」 「ああ、吉武だろ。中学の時に一緒のクラスだった」 「高校も一緒に行きたかったけど、俺は理系だし、お前は根っからの文系で合わないのは仕方ないけどな」 世間話もそこそこに、吉武は飲みに誘おうと思って待ってた、と本来の目的を話し近場の居酒屋に足を運んだ。 倉田との食事は実に楽しく、酒も進み饒舌になる。 「吉武は今、どこに勤めてるんだ?」 「俺はプログラマーとしてフリーランスに働いてる。派遣で働くのは将来が安定されないから、とにかく金の貯蓄を目的にあえてフリーランスにしてるんだ」 退職金以上の金を稼げる仕事ができるようになったから、今は正社員として安定した生活も悪くないと思ってるところだ、凛々しい眼相応の彼らしい働き方だと倉田は感心する。 「貯蓄を第一にしてきた、てことは、相手がいるということか」 酒がだいぶ入っている倉田にはどの返事が来ても、受け入れることができる守備範囲になっていた。 「いいや、今はいないけど、養う予定の人はいるよ」 「誠実じゃないか、先に生活できる土台を作ってあげている、というのは相手も安心して吉武に身を任せられるな」 「倉田もそう思うか」 「ああ、俺はいいと思うぞ」 「その相手とは今どんな関係なんだ、あともうひと押し、て感じか」倉田は吉武の相手は生活に苦しむことがなく、幸せを約束されているような環境で、羨ましいと思った。 今までテンポよく交わしていた会話が突如ぶつりと途切れ、吉武は歯切れの悪さを見せた。 「その相手は、俺のことなんて・・・・・・」 「まだそんなところだったのか」 吉武は想いすらも、伝えられていなかったらしい。 悔しそうな苦虫を潰したような顔で、ジョッキの残りのビールを一気に飲み干し、ポツポツと弱音をこぼし始めた。

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