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最終話

「テシタ ナンデスカ? ワカリマセン デモ テシタ ナリマス!」「ワタシモ!」「ワタシモ テシタ ナリマス!」 全く何も説明しないまま、手下になるという鬼たちの言質だけを取り付けた桃太郎は、目元を覆っていた袖をぱっと下ろし、「そうかそうか。苦しゅうないぞ」とあっけらかんと笑いました。当然、目元には涙の跡すらありません。 「ではそこの長持(ながもち)に入っているものをそっくりそのまま寄こせ。そなたらが作った調度もな」 あれほど肉欲に爛れた時を送っていながらも、桃太郎は長持状の木箱にはまだまだ質の良さそうな布や変わった形の刀剣がしまわれているのをしっかりと確認しておりました。また、初めてこの天幕にやってきた折に、赤鬼と青鬼が木材を彫って見事な装飾を施していたのを覚えてもおりました。 更に、あれもよこせ、これもよいなと指を差し、鬼たちが「コ、コレハ チチカラモラッタ タイセツナ…」「アアッ ソレハ カミノ オシエガ カカレタ…」と慌てても、「手下とはそういうものよ」と黙らせます。 そうして泣きそうに顔を歪めた鬼たちにそれらの財産を手ずから運ばせて、猿と犬に先導させて権座が待つ海岸へと向かいました。一応雉にも「行くか?」と声を掛けましたが、まるで御免こうむるとでも言いたげにくわっと威嚇されましたので、確かに権座に返して潰されるよりはここで紐に繋がれながらも交尾を楽しめた方がよかろうと思い、置いてきました。 何事か決意を秘めているのか、鉢巻を締めて悲愴な表情で波打ち際に立ち尽くしていた権座に、辛気臭い男よと思いながらも声をかけると、権座は途端に「桃太郎殿っ!」と全身に喜びを溢れさせて駆け寄ってこようとしました。 しかし、桃太郎の後ろに控えた、これまた悲愴な表情をした三匹の鬼たちを目にしてひっと後ずさります。 「ああ、大丈夫ですよ。これらの鬼は私の手下となりました」 何でもないことのように言う桃太郎を見る権座の目は、もしやこの桃太郎も鬼が化けているのではと疑うように恐怖に満ちています。しかし、猿と犬が親しげに権座に駆け寄ってひとしきり挨拶をし、その後鬼たちのところに走って行って足元に纏わりつくのを見て、ようやく表情を和らげました。 「さすが桃太郎殿。鬼の成敗を果たされた上、命をとることもなく手下として使ってやろうとは、なんと懐の深い…!」 興奮した様子で誉めそやす権座に、桃太郎は鷹揚に頷くだけで一切の説明を省きました。単に本当のことを言って権座の『鬼と(まぐ)わうなど男子として以前に人として云々(うんぬん)』が始まるのが面倒だっただけですが、その態度がより自信に溢れて見えたのか、「立派におなりに…!」と更に権座を感激させます。 ひとしきり再会を一方的に喜んだ後、権座が「私の雉はお役に立てたでしょうか」と少し寂しそうに笑ったので、「ええ、立派に役割といえるものを果たしてくれました」と、若干言葉を濁して答えました。 それを聞いた権座は「それは何よりです」と、思い出に決別するような儚い微笑みを浮かべたので、桃太郎はうっとまたなけなしの良心が痛み、やはりさっさと追い返すに限るなと非情なことを考えました。 「死闘の結果、この鬼どもは私に忠誠を誓い、その証にこれらの宝物を差し出してきました。私が直接育ての父母に宝を届けたいのですが、鬼どもは目を離すとまたぞろ悪さを始めてしまうかもしれません。かといって、このような恐ろしげな見目の者どもを引き連れて村まで旅するわけにもまいりません。あぁ、どなたかが私の代わりに育ての父母に宝を届けてくださったなら…」 死闘は死闘でも摩羅と菊座の死闘だったが、と思いながらも憂いを帯びた表情で視線を落とすと、予期通り権座が「そのようなご事情なら是非儂が」と申し出ました。 「さようでございますか。助かります」 あっさりと憂いを引っ込めた桃太郎は、ついでにあれもこれもと頼みます。 「えっ…あ、はい…さようで…」 と目を白黒させる権座をよそに、鬼たちに次々と宝物を舟に積み込ませていきました。 全てを積み込み終えたところで、桃太郎はしっしっと追いやるように権座まで舟に乗せ、「では、お願いしますね」とさっさと送り出しました。 ほんのわずかな滞在で再び海に出た権座は何度も振り返り、「すぐに戻って参ります!」「桃太郎殿どうぞお気を付けて!」などと叫んでいるのを、うむやはりいい尻をしているなと思いながら、桃太郎は手を振って見送りました。 さて、鬼ヶ島から戻った権座は、桃太郎に言われた通りに『桃太郎』と書かれた旗指物を背負って旅をし、道中でいくつかの町に立ち寄りました。そして、それぞれの町で鬼の宝物を並べ、「さぁて御立会い」と大声で人々を呼び寄せました。 「桃太郎殿は誠に高潔なお方で、猿と犬を供とし、雉のみを携え、育ての父母殿との約束を果たすべく鬼ヶ島へと乗り込まれたので御座候」 権座は意外な才能を発揮し、節回しもよく桃太郎の活躍を滔々(とうとう)と語ります。しかし、珍しい品物を前に、人々は話の半分も聞いておりません。 「赤い髪の恐ろしげな大きな鬼が…」と声を潜めれば「これはどのようにして使うんじゃ!」と遮られ、「桃太郎殿は鬼どもと死闘を繰り広げ…」と声を張れば「いくらで譲ってくださるんじゃ!」と更に大声を被されるといった具合です。 それでも権座は律儀に一部始終、つまり見てきたわけではない桃太郎の鬼退治の様子を語り、これがその鬼どもの宝よと、桃太郎に言われた通りに人々に宝を高値で売り捌きました。 不思議な文字で綴られた分厚い書や、鬼達が手ずから彫った精巧な調度品は飛ぶように売れていき、あっという間に権座がこれまで目にしたことのない銭の山が築かれていきます。 『桃太郎が鬼ヶ島の鬼を退治し、分捕り物を持ち帰って売り歩いているらしい』 噂が噂を呼び、権座の行く先々の町で「桃太郎さん、儂にも鬼の宝を売ってくれ」と人々が押し寄せました。 権座はその度に「いや、鬼を子分にしたのは儂ではなく桃太郎殿で…」「いや、儂は精神を病み桃から産まれたなどと途方もないことを言い出した桃太郎殿を介抱し、雉を差し上げただけで…」と訂正しておりましたが、人の噂は複雑な経緯など易々とすっ飛ばしてしまうものです。鬼ヶ島から宝を持ち帰った権座こそが桃太郎であると伝わってしまうのも無理からぬことでありました。第一、鉢巻をきりりと締め『桃太郎』と書かれた旗指物を差した精悍な美丈夫である権座の方が、触れなば落ちん風情の桃太郎に比べて、よほど鬼退治の英雄としてしっくりくるというものです。 こうして、権座が語った桃太郎の鬼退治譚は人口に膾炙する内に形を変え、後の世まで広く語り継がれたのでした。 一方、そうとは知らぬ権座は、鬼の宝を売った銭を使い、行く先々の町で桃太郎に頼まれていた物を買い揃えていきます。多種多様な野菜の種、農作業の道具、雌鶏に雄鶏、小ざっぱりとした着物、質のいい木材等々。それら全てを仙石岬まで送るよう手筈を整え、自身は桃太郎の育ての爺婆が住むあの村にたどり着きました。 桃太郎の育った家は聞いていた通り立派な門構えでしたが、育ての親という爺婆はそこでひっそり慎ましく暮らしておりました。権座は桃太郎に頼まれた通り、宝の中でも一等上等な布や金銀細工と、かなりの大金を手渡しました。 「この銭で村の皆の生活を助け、達者で暮らして下さいと、桃太郎殿はおっしゃっておりました。無事でいるから安心してほしい、とも」 旅立つ前日まで摩羅ばかりしゃぶっていた世慣れぬ桃太郎は、きっと旅の道中で野垂れ死んだものだろうと諦めていた爺婆は大層驚き、感涙に咽びます。 しかし、少し気持ちが落ち着きますと、生きているのであれば帰ってくればよいものを、とすっかり勃ちの悪くなった摩羅を見れば少々不義理にも思えてきます。 桃太郎は帰ってこないのかと尋ねる爺婆に、「これは桃太郎殿には明かすなと言われたことなのですが…」と権座は肩を落とし、「成敗した鬼どもを手下としたことで、そやつらを見張る務めがあると言って鬼ヶ島を出ようとされないのです。鬼など殺してしまえばいいものを、命を助けた上に面倒をみるなど、常人には真似のできぬ立派なお志です」と辛さを堪えるようにしながら桃太郎を賛美します。 村では喋りもせず諾々と爺たちの摩羅をしゃぶっていた桃太郎でしたが、そうは言っても長年育ててきた爺婆は、多少若めの爺や大きい摩羅をもつ爺の時には桃太郎が嬉しげな様子を見せることに気付いておりました。それで、巨大な体躯をもつ鬼たちが桃太郎の手下となったという話を聞くと、なんとなく事情を察し、これは帰って来るまいなと遠い目になりました。 権座は桃太郎を育てた爺婆であれば、なんとしてでも再び桃太郎に帰ってきてほしいと涙ながらに縋り付き、それを伝えれば桃太郎も鬼ヶ島を出る気になってくれるのではないかと淡い期待を抱いておりました。しかし、爺婆が存外あっさりと「遠いところをご苦労様でございました」と扉を閉めてしまったので、すっかり当てが外れました。桃太郎が権座にとっては意外なところであっさりと別れを告げるのは、もしかするとこの爺婆譲りなのかもしれないと思いながら、権座はすごすごと仙石岬へ戻っていきました。 そうして、道中に買い揃えて送っておいた大量の品々を舟に乗せ、権座は三(たび)鬼ヶ島を訪れました。例によって猿と犬が出迎えてくれ、しばらく待っていると美しい髪になぜか糊をこびりつかせた気怠げな様子の桃太郎が、鬼を伴って現れます。 権座の奔走を労い、まだかなり残っていた釣りの半分を礼にと渡してくれる気前の良さでしたが、どうにも心ここにあらずな様子が気にかかり、よせばいいのにどうしたのか聞いてしまう権座でした。 「いえ、体の調子はすこぶるよくて、むしろ鬼たちに作らせた新しい木彫りの玩具を積極的に試しているところなのですが、これがなかなか…」 と桃太郎は要領を得ないことを言ったかと思うと、なにやら「んっ」と鼻にかかった声を上げて眉根を寄せています。そしてはぁはぁと浅い息をついたかと思うと、着物に覆われた尻をびくびくっと引き攣らせたのが見えました。 その悩ましげな様子に何やら背筋がむずむずするような心持ちがいたしましたが、雑念は追い払って権座は桃太郎に必死で訴えました。 「こうして食材の元となる物を運んでは参りましたが、やはりこのようなところに桃太郎殿を残して引き上げるのは心配で心の臓が潰れそうな心地がいたします。かくなる上は儂もこの地に移り住み…」 と、とんでもないことを言い出した権座です。桃太郎は血相を変え、慌てて「それはなりませんっ!」と思い留めようとします。 「儂も野良仕事であればきっとお役に…」「いいえ、お気遣い無用です」「野菜の芽がうまく出なかったら…」「きっと大丈夫です」 散々押し問答を続けましたが、桃太郎殿はきっと儂を心配してくださっているのだと思った権座は頑強に言い張りました。 しまいには桃太郎も権座の熱意に心を打たれたのか、「もうっ…本物が欲しくて…耐えられぬっ」と息を乱しながら意味のわからないことを鬼に訴え、権座が月に一度様子を見に来ることをしぶしぶ承服して、鬼に抱えられて島の奥へ消えていきました。 こうしてその後も月に一度律儀に権座は鬼ヶ島にやってきて、毎度飽きずに桃太郎の身を案じ、鬼たちが彫ったという調度品を持ち帰らされて各地で売り捌くということを繰り返しました。 精巧な彫刻が施された美しい調度品は良く売れましたが、中でも「鬼に金棒」と桃太郎が名付けた滑らかな手触りの木の棒は殊の外買い手が多く、町へ行く度に新しい物が入ってきていないかと尋ねられるほどでした。 これはどのように使うのかと権座が尋ねたところ、「桃源郷を垣間見られる幸せの棒です」と桃太郎は晴れやかに微笑んでおり、それ以上は追求できずにおりました。 複雑な括れや細かい突起を備えたずっしりとした木の棒は、権座にはどうにも巨大な摩羅に似ているように見えて仕方がないのですが、買い求める男も女も頬を染めて生き生きとしておりましたので、きっと桃太郎が言うように幸福をもたらしてくれる棒なのでしょう。権座もあやかりたいと思い、ひとつ買い上げて寝床の枕元に(まつ)っておきました。 このような行商で得た銭で暮らしに必要な色々な物を仕入れて鬼ヶ島に行けば、桃太郎も鬼も、いや特に鬼が大層喜び、権座にも銭の一部を分けてくれましたので、権座の生活は途端に潤いました。 桃太郎への片恋はずっと権座の胸を占めておりましたが、身なりを整えた権座の元にはすぐに嫁が来ました。 初めは鬼ヶ島との行き来を止められるのではないかと案じていた権座でしたが、枕元の「鬼に金棒」を作ったのが鬼たちだと明かすと、嫁は途端にどんどん新しい金棒を買い取ってこいと興奮気味に後押ししてくれました。やはり幸福の棒であったのかもしれません。 そうこうする内に子も生まれ、その子も行商に鬼ヶ島にとついてくるようになりました。 こうして、権座一家は代々鬼ヶ島との交易を独占し、富み栄えていったのでした。 一方の鬼ヶ島では、桃太郎の神通力を潤沢に得続けて、誰もが若々しく幸せに暮らしておりました。 権座の雉はいつのまにやら逃げ出しておりましたが、増えに増えた雉は全て権座の雉の子孫であり、鬼たちの暮らしを大いに助けました。 犬と猿も当然桃太郎の神通力を受けておりましたので、いつまでも毛艶よく健康で、見張りに狩りにと活躍し、権座が連れてきた雌と番い大家族となっていきました。 鬼たちは神通力を受けていつまでも雄々しい摩羅で桃太郎に奉仕し続ける一方、桃太郎に言われたとおり田畑を耕し、木彫りの調度を作り、一端(いっぱし)の働き手として鬼ヶ島を潤わせていきました。 桃太郎の欲望は尽きることなく、夜を日に継いで鬼たちの摩羅を貪り続けました。途中で飽きるかとも思われましたが、次から次へと新しい淫具を考案して鬼たちに作らせましたので、いつまでも新しい快感に喘ぎ続けることができました。 神の教えを実践する集団生活の中で身の回りのもの全てを自分たちで(こしら)えていたという鬼たちは大層器用で、螺子(ねじ)巻き式や釣瓶(つるべ)式など、見た事も無い技でどんどん新しい「鬼に金棒」が生産されていきます。 こうしていつの間にやら鬼ヶ島は鬼が住む島としてではなく、いやらしい物が何でも揃う夢と欲望の島として語られるようになっていきました。 後の世で、あの島には美しい女ばかりが住んでおり、この世の全ての手練手管を使って男を昇天させてくれるらしい、という夢物語が語られるようになったのも、元はと言えばこの鬼ヶ島の鬼たちが「鬼に金棒」を大量に作っていたからだとか。 長い時を経て、好色で名を馳せた一人の男が、仲間と連れ立ってこの元鬼ヶ島を目指して船出するのは、また別のお話でございます。 兎にも角にも、桃太郎殿はいつまでも摩羅尽くしの幸せな日々を送ったようで。 めでたしめでたし。 《完》

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