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伊織(11)
「この鰻、どこの店の?」
「うちの会社が経営している店だよ。新しくオープンしたばかりなんだ。また今度一緒に食べに行こうか」
「うん。またカズヤさんの都合の良い時に連れてってよ」
カズヤさんは「もちろん」と、本当に嬉しそうにニコニコと笑顔を僕に向けてくる。
そうやって、新しい店に僕を連れて行くのを、カズヤさんはいつも楽しみだと言ってくれる。
その店の味や雰囲気とか、僕の正直な感想を聞きたいらしい。
僕も、今まで食べたことのない料理や、新しい味に出会えるのが興味深くて、二人で出かけるのをいつもとても楽しみにしていた。
「大学の方はどう? 忙しい?」
「そうでもないよ。もう4年だから、ほとんど卒展の作品制作だけだし」
「そう。伊織の卒展の作品、楽しみだなぁ」
「……あんまり期待しないで……」
「卒業後の進路は? もう決めてる?」
「うん……やっぱり大学院に進みたいと思ってるんだけど……」
「ああ、伊織は前からそう言ってたよね。心は決まったんだね。もちろん、伊織が希望する道なら、ぼくは応援するよ」
「ありがとう……」
いつもの、ごく普通の二人の会話だった。だから、話の流れのまま、気負うこともなく自然に口から言葉が出て行く。
「僕、明日から大学の教授の家でお世話になろうと思ってるんだ」
「……え?」
さすがにカズヤさんの箸が一瞬だけ止まり、向かいに座る僕に視線を合わせてくる。
「教授って、雨宮教授?」
「うん」
カズヤさんは、しじみの味噌汁をコクンとひと口飲み込んで、お椀をテーブルの上に置く。
「伊織が、高校の時からずっと憧れていた教授だね」
「……うん」
美大を受験したいと思った時から、カズヤさんには雨宮教授のことを話していた。
教授の作品の世界観に強く惹かれた時の話を、今夜のように食卓で夕飯を食べながら、食べ終わってもまだ、ずっと喋り続けた。
画集を買ってきては、この作品はこんなに繊細に描かれているのに、どうしてこんなに迫力を感じるんだろうとか、この作品のこの表現はどうやったら描けるんだろうとか、自分でも今考えたらおかしいくらいに熱く語った事を覚えてる。
それは、美大を受験させてもらいたいという気持ちがあったから……というのもあるけれど。
雨宮 侑という人の作品を、一人でも多くの人に広めたい。自分がこんなに惹かれた想いを誰かと共有したい。そんな気持ちもあったのは確かだった。
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