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伊織(20)
「…………」
思わず眉間に皺を寄せてしまったのは自覚していた。
だって今は、教授以外の人に、そんな風に触れられたくないから。
「朔さん……」
「ん?」
「顔、近い…………です」
これでも、キツい口調で言いそうになるのを、何とか堪えたつもり。
更に少し頭を後ろに引いて、笑ってみせたけど、ちょっとぎこちなかったかもしれない。
「あ……、ごめん」
朔さんは、弾かれたように身を退いて、髪から指が離れていく。
「柔らかそうで、触ったら気持ち良さそうだな……なんて思ってたら、つい手が出ちゃってた」
そう言いながら、困ったように眉を下げて、またごめんねと謝るこの人は、多分いい人なんだとは思うけど。
「こんな風に、いつも女性を口説いてるんですか?」
「えっ?!」
「モテますよね? 朔さん」
困った表情の朔さんに、思わずクスっと笑いを零すと、「参ったなぁ」と、彼は両手を上げて降参のポーズをした。
「まぁでも真面目な話、岬くんがあの絵のモデルをしたんじゃなくても、先生は君でイメージしたんじゃないかな。ガニュメーデースを」
――それは絶対違うけど。本当のことは心の中でしか言えない。
「何となく先生の気持ちは分かるよ。岬くん見てると、こう……なんて言うか、いろんなイメージ湧いてきて、描いてみたいって、オレも思うから」
真っ直ぐな眼差しでそんなことを言ってくるけれど、たぶん僕は朔さんに揶揄われてる。
「……何、言ってるんですか」
そう返しながら顔が熱く火照るのを感じて、さりげなく横に視線を逸らした。
「いや、冗談じゃなくて。……ねぇ、岬くん」
「……なんですか」
「オレ、11月にグループ展に参加するんだけど……」
言葉を続けながら、朔さんが身を乗り出してきて、また距離が近くなる。
この人、話に夢中になると、距離を縮めるクセでもあるのかな。
「その時に出す作品の、モデルになってくれない?」
「イヤです」
「――――っ……て、即答?」
そこで朔さんは、愉しそうに笑いだした。
「や……、ごめん、でもホントきみは面白いね、岬くん。オレ気に入っちゃったよ。これからもよろしくね」
その流れで「ね、連絡先交換しよう」と言われて、戸惑いながら取り出したスマホに、朔さんの連絡先が登録されて、僕の連絡先も朔さんのスマホに登録された。
「そう言えば、あの麗しのガニュメーデースさ、何人か買いたいと言う人いたんだけど、先生はあの作品だけは売れないって断ってたな」
カフェを出て、ギャラリーの裏口までの道すがら、朔さんが思い出したように話してくれた。
「やっぱり、あれは特別な作品なんだな」
言葉を続けながら、横を歩く僕に視線を向ける。
――――そう……あの絵は先生にとって、特別な作品。きっとこれからも手離すことはない。
「やっぱり、ちょっと妬けるかも」
クールな印象の切れ長の目元を緩めて、柔らかく笑みを浮かべる朔さんに、僕の心臓がまた、ドキリと不安に反応したけれど……。
気にしないふりをして、僕も微笑みを返してみせた。
「だから言ってるじゃないですか。あれは僕じゃないですよ」
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