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伊織(21)

 ******  全員の顔を把握はできないけれど、今日手伝いに入っている院生は10人くらい。  お昼休憩や受付の交代をしながら、1階のバックスペースで、徐々に搬出作業を進めていった。  まだ時間が早いので展示スペースはそのままに、梱包資材の準備をしておく。  買い手のついた作品は、宅配サービスを利用するので、台帳をチェックしながら送り状を書いたり、それと同じ数のお礼状を封筒に入れて用意したり、やる事は結構あって、時間はあっという間に過ぎていく。  今回は、個人で開催した規模的には小さな個展だったのに、雑誌の取材も来ていたりで教授も忙しそう。  時々教授がバックスペースに顔を出し、院生の誰かに声をかける。  朔さんが言ってたように、その呼び方は、名前だったり名字だったりニックネームだったり、様々だった。  でも僕は――――  やっぱり名前で呼ばれてみたい。“岬くん”でもなく、“潤”でもなく。    あの優しい声で、“伊織”と呼んでほしい。  でも、もしもそうなったら……教授が僕を、僕の存在を認めてくれた事になるような気がして……それが少し怖いんだ。  だって僕は……教授が愛するただ一人の存在になりたい。  ……だから今は…………  最終日だから、少し早めの17時には個展が終了し、宅配サービス業者が集荷に来て、レンタルした什器は業者が引き取りに来た。  ほぼ完売で、残りの作品は少なかったけど、綺麗に梱包して朔さんが運転するバンに運び込み、搬出作業はスムーズに完了した。 「先生、作品は大学のアトリエに運べばいいですか?」  朔さんが最後に数のチェックをして、教授に声をかける。 「ああ、メインと岬の絵だけ悪いけど俺の家で降ろしてくれるか?」  メインの絵は『Aquarius』。  『岬』の絵は、潤さんが亡くなった場所。  潤さんは、教授と一緒にあの家に帰る。  きっと教授の想いは片時もあの絵から離れることはないのだろう。これからもずっと。 「はい。分かりました」  朔さんが教授に応えてから、僕の方へ視線を送ってくる。 「岬くん、こっち乗る? 大学で作品降ろしたら送っていくし」 「え、えっと僕は……」  ――――どうしよう。先生の車に乗るとは、言いにくい。しかも僕は今夜からあの家で暮らすのに。でも、そんな事言えるわけがないし、このまま電車で帰ると言った方がいいのか迷う。    言い淀んでいると、教授が僕の肩を抱き寄せた。 「ああ、いいんだ。この子は俺が送っていくから」

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