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伊織(23)
信号が青に変わり、教授の手は僕から離れてハンドルを握り、車が滑らかに走りだした。
「でも気付いたとしても、朔は他人のプライベートを周りに言いふらしたりするような男じゃない。それは保証するよ」
まっすぐ前を見て運転する横顔は迷いがない。きっぱりとそう言ってくれただけで安心して、さっきまでの不安が消えていくから不思議だ。
「……そうですね。僕もそう思います」
知らずに固くなっていた肩の力が抜けてそう応えた僕に、教授がチラッと視線を寄越し口元を緩めた。
「だけどね……」
言葉を続けながら、教授はすぐにまた進行方向に視線を戻す。
「朔は面倒見がいいし研究室でもリーダー的存在だから、今日は岬くんのことを任せたんだけど……そのことをちょっと後悔しているよ」
「……え?」
運転している横顔はいつもと変らない。前だけを見ている瞳は、どんな表情をしているのかこちらからは分からない。
「彼、どうやら君のことを気に入ったみたいだったから……――――――――」
最後の方は、対向車線を走る車のクラクションの音に掻き消される。
だけど、僕の耳は教授の声をちゃんと拾っていた……。
それは、僕が都合の良いように解釈しただけかもしれなかったけれど。
「―――――岬くんは俺のものだと、釘を刺しておかなければと思った―――」
聞き間違いかもしれないけれど……。
でも聞き返すことはしたくなかった。
だって、聞き間違いの言葉だったとしても、都合のいい解釈だとしても、それだけで胸が苦しくなるくらい幸せだ。
「もしもこの事で何か問題が起きたとしても、俺がちゃんと岬くんを守るから」
――もうじゅうぶん幸せなのに。僕は、どんどん都合のいい解釈をしてしまう。
もうすぐ教授の家に着く。その手前の信号が赤になり、運転席から伸びてきた大きな手が優しく頭を撫でてくれる。
「心配なんかしなくていいから。安心して傍に居なさい」
「……はい」
胸に熱いものが込み上げてくる。嬉しくて、嬉しくて、涙が出そうだった。
少しは期待してもいいんだろうか。僕だけが欲しくて教授の傍にいる関係、じゃなくて。
――――教授も僕のことを――――
でもそれはきっと、違うんだろう。
全部都合のいい解釈。
僕は潤さんの代わりなんだから。
教授は、僕じゃなくて、潤さんに似ている僕を愛してくれている。
*
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