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伊織(31)

 暫くすると、隣の布団から規則正しい寝息が聞こえてきた。 (先生、もう寝ちゃった……)  きっと疲れてたんだろう。  昨日の今日で、朝から個展会場に行ってて、しかも最終日の慌ただしさだったんだから。  ――――それにしても、ここは静かだ。  小さな寝息と時計が時を刻む音さえも、夜のしじまに溶け込んでいく。  僕は小さく溜息を零して、そっと隣の布団に視線を向けた。  微かな月灯りが、障子を透過して、仰向けで眠っている教授の顔を、暗闇の中でぼんやりと浮かび上がらせている。  少しだけ離されている布団の距離は、やっぱりもどかしい。傍にいるのに遠くに感じてしまう。  いっそのこと、教授の布団に潜り込んでしまおうか。  そんな不埒な考えがチラつくのを振り払うように、僕は静かに寝返りを打ち、目を瞑った。  だけど、どうしてか眠れそうにない。身体は疲れてるはずなのに。  ウトウトはするものの、深い眠りに入ることが出来ず、何度目かの寝返りをうった時だった。 「…………っ、……」  教授の小さく呻くような声が聞こえてきた。  最初は偶々かと思って気にしなかったけれど、その声は徐々に苦しさを増していく。 「……ぅ……く……ッ」 (うなされてる?)  そのうち衣擦れの音と共に教授が寝返りをうち、仰向けで寝ていた身体がうつ伏せになる。枕に顔を押し付けながら苦しむ姿が本当に辛そうで、僕は慌てて起き上がった。 「先生? 大丈夫ですか?」  声を掛けても教授は目を覚まさない。  寝言には話しかけてはいけないと、聞いたことがあるけれど、これは寝言なんかじゃない。悪夢にうなされているんだと思う。  それとも何か病気だったらどうしよう。  最悪の考えが頭を過ぎり、僕は必死に教授の背中を摩りながら、声を掛けた。 「先生! 雨宮先生!」 「…………じゅん……」  荒く吐き出される息と共に聞こえてきた名前に、胸の奥がズキンと痛んだ。 「行くな…………ッ、そっちは駄目だ――」 「先生……!」  うつ伏せのまま身体を丸め、シーツを固く握り締めている教授の広い背中の上から、腕をいっぱいに伸ばして強く抱きしめると、全身が痙攣するように強張っているのが伝わってくる。 「――――う、ああぁーーッ、潤っ! じゅん!」 「しっかりして! 目を覚まして! 僕は……僕ならここにいるから……」  ――僕ならここにいるから。 「……俺のせいで……俺のせいだ…………。潤……、潤、許してくれ――――――――お前を……」  悲痛な叫びが響いた後は、その声は呟くように小さくなり、最後の方は聞こえないくらいに消えていった。  ――お前を――――愛してる…………。 「……兄さん……」  背中を摩りながら、そう声をかけると、教授の身体から強張りが解けていく。  泣きそうになるけど……泣かない。  教授と初めて身体を繋げた時から、そう決めていたんだから。

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