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かりそめ(15)*

 ――教授が僕を……。  教授がくれた言葉の意味を、僕は何度も頭の中で反芻していた。  すぐには信じられなくて、まるで夢に酔ったみたいに、身体が熱く火照り、空中に浮かびあがっているような感覚がした。  ――そうだ……これはもしかしたら夢なのかもしれない。  これは僕の願いが見せた夢。 「君が好きだよ、伊織」  だけど、低音の甘い声が耳元で響き、“これは現実だよ”と教えてくれる。 「そのことに気付けたから、俺は潤の死を漸く受け入れることができたのかもしれない……」  ――潤さんの死を受け入れる……。  身体を僅かに離して見上げると、漆黒の瞳に優しい光が浮かぶのを感じた。 「もっと早くこの気持ちを、ちゃんと伝えたかったけど、あの日、君を潤と重ねて抱いてしまった自分が赦せなくて、なかなか言い出せなかった」  本当に、夢じゃないの?  だって、あんなに苦しかった花火の音までもが、心地良く僕の身体を包んでる。 「……先生……」  絞り出すように出した声は情けなく掠れてしまう。  “先生”と、そう声に載せて呼んでしまえば、この幸せな夢から、きっとあっと言う間に醒めてしまう、そんな気がした。  だって、いつだって幸せな時間は、儚くて短い。 「愛してる、伊織」  だけど教授は、柔らかな低い声で僕の名前をぎこちなく呼んで、僕が一番欲しい言葉をもう一度くれた。 「……あ……」  僕もそれに応えようとしたけれど、胸が震えて上手く言葉にすることが出来なかった。 「こんな俺でも君は赦してくれるか?」 (――赦すなんて……そんなこと……!)  言葉に出来ない代わりに、僕は教授の首に腕を絡めて、唇を重ね合わせた。  ――僕も……、僕も先生が好き。先生を愛してる。  深く口付けを交わしながら、心の中で何度もその言葉を繰り返して。  お互いの熱い息を交じり合わせるうちに、また熾火が燃え上がっていく。  身体の奥で脈動した教授の熱が硬く膨らんで、意思を持って隘路を押し広げてくる。 「……っあ……ッ」  僕の中はすぐに反応して、教授の形を確かめるように蠢いて、もっと奥へと誘った。 「愛してるよ、伊織」 「……僕も……、愛してる。先生が……、好き」  お互いの身体を抱きしめ合い、肌の熱さを感じ、鼓動を感じ、口づけを交わし、二人で高みへと昇りつめていく。  好きな人と想いが通じ合うって、こんなに幸せなことだったんだね。  あんなにいつも、何かが足りなくて、あんなにいつも渇いていたのに。  愛って、どんな快楽よりも満たされる。  中学一年のあの夏からずっと――――  ずっと探していた足りない何か。  それは、お互いが相手を想い、愛し合う心。  餓えていた渇きが確かに満たされていくのを、僕は生まれて初めて感じていた。  一際大きな花火の音に、教授は唇を僅かに離して、「あ……」と声を漏らした。  僕の後ろへ移した教授の視線に釣られて肩越しに振り返ると、満月になる前の少し欠けた月の横に花火の大輪が広がっているのが見えた。

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