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かりそめ(16)
きっとラストの花火なんだろう。一番高く上がった花火が、ここからでも大きく見えて、そして消えていく。
「来年は、伊織に似合う浴衣の生地を染めよう」
夜空を見上げていた僕の耳元に、教授の柔らかな低い声が囁いた。
「……え?」
驚いて振り向けば、甘く唇を啄ばまれる。
「今年は……、間に合わなかったから」
「……先生……」
幸福な涙で、また頬が濡れていく
――ああ……、こんなに嬉しい言葉は他にない。
「……その浴衣を着て、来年は先生と花火大会に行ってみたい」
きっと、これからは花火の音に怯える夜は、もうこない。幸せな思い出に上書きされたから。
「そうだね」と、教授は優しく微笑んで、僕の頬の涙を拭ってくれる。
その指に僕の指を絡めて、そっと唇を寄せた。
長くて繊細な指は、父さんとよく似ている。
一房落ちた前髪を、その指で神経質そうに掻き上げる仕草も。
他の人と重ねて見ていたのは、僕も同じ。
未来なんて、どうなるか誰にも分からないけれど、もしもこの先に何があっても、
今、お互いが相手を想い愛している、この瞬間があるのだから、きっと後悔なんてしない。
「……先生……」と小さく呼んで、僕は教授の肩に頭を預けた。
「ん?」
少し笑いを含んだような返事が、頭の上に落ちてきた。
「鈴宮の父は……ちょっとだけ先生に似てるんですよ」
「ああ……」
思い出したような声が零れたあと、「知ってるよ」と、笑いながら返事が返ってきた。
お互いに、それがきっかけだった。
でも、相手を想い、相手を愛する気持ちは、泡沫の夢で終わらない。
「伊織」
「はい?」
呼ばれて顔を上げると、教授の瞳に強い意思が漲っていた。
「お盆は、あの岬に行って、潤に会ってこようと思う」
――潤は、あそこで眠っているから。と、言葉を続けた。
「はい」
昨日までの僕ならきっと、不安に思っていただろう。でも今は……。
「僕は、岬の家に行ってきますね」
そう応えると、教授は僕をぎゅっと抱きしめて、優しく頭を撫でてくれた。
「ああ……行っておいで」
花火の音がしなくなった濃紺の夜空から、満月になる前の少し欠けた月が、静かに僕たちを見下ろしていた。
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