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かりそめ(20)

 次の駅に着いて、向こう側の扉が開いた。こちら側からは見えないが、後ろの男が「降りる人少ないな……」と呟いたから、その状況は分かる。  多分、この駅のホームも、電車を待っている人で一杯になっているはずだ。 「一歩ずつ、中ほどにお詰めください」  駅員が必死に声をかけているのが聞こえてくる。 「……っ」  どれだけ乗ってきたのか、後ろからぎゅうぎゅうと押され、僕の身体は扉に張り付けられたような状態になってしまった。 「これは酷いな」  男の唇が、ちょうど僕の頭の上の位置にあって、喋るたびに湿った呼気が髪に触れる。 「でも、混んでるから仕方ないよね……」  笑いを含んだ声で、さっきと同じ台詞を吐く男は、それまで突っ張るようにしていた腕を緩め、肘を折って扉につけていて、僕の身体を包み込むように密着していた。  ――混んでるから仕方ない……というのは、その通りなんだけど……。  僕が乗り換える駅までは、20分くらい。たぶんその駅までは、乗ってくる人はいても、降りる人は少ないだろう。  扉が閉まり、電車が動き出すと揺れるたびに、背中に重みが圧しかかる。  そして、この暑さだ……。蒸れた空気が息苦しい。  後ろの男も気を紛らせたいのか、昨日のテレビの話とか、他愛もない話を喋り続けていた。  僕は、適当に相槌を打ちながら、窓の外を見遣る。  空は青く、雲一つない。太陽が照り付けているけれど、静かな風が木の葉を揺らしている。きっとここよりはずっと心地良いだろう。  ――先生は、今頃何をしてるんだろう。  あの岬まで、車で六時間かかると言っていたけれど、もう着いただろうか。  今日は、全国的に晴れで、気温が高いと、今朝テレビで言っていた。  この青い空を、教授も見上げているかもしれない。  愛しい人のことを思い浮かべると、不思議と心が和む。息苦しい空気も、圧しかかる重みも、束の間忘れることができた。  だけど、突然耳元で小さく囁く声に、呆気なく現実に引き戻される。 「やっぱり君、男の子だよね?」 「……は?」  思わず後ろに顔を向けそうになったけれど、こらえた。 「いや、最初は一瞬女の子だと思ったんだ」  どうやら、僕のことを女だと思ったらしい。  確かに僕は母親似で、女顔なんだろう。身長も低く痩せているからか、たまに間違えられることもあるけれど……。 「男、です」  応えると、くすっと小さく笑いながら「可愛いね」と、僕だけに聞こえるような小声で囁いた。 「……」  男の言葉を無視して、僕はまた遠くに視線を向けた。  その時、突然目の前が真っ暗な闇に覆われる。次の瞬間車内が明るい照明に照らされた。  この電車は、ここから地下区間に入る。  扉のガラス窓が、鏡のように車内を映し出し、その中で後ろの男と視線が絡んでしまった。 (――しまった)  咄嗟に視線を横に逸らし俯いたけれど、遅かった。それがかえって逆効果になってしまう。

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