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かりそめ(23)

 だけど僕の腰を拘束する腕に力がこもり、更に強くドアに身体を押し付けられた。 「放せってば、変態……ッん、ん!」  身動きもままならない男の腕の中で、それでもできる限りの抵抗をして藻掻くと、男の大きな手に口を塞がれてしまう。 「こらっ、周りに迷惑だろ? そんなに怒るなよ、俺が悪かったから」  周りの乗客に聞こえるように、男が笑いを含んだ声で話しかけてくる。まるで恋人同士が痴話喧嘩をしているように見せかけて。  どうやらこのまま、わざとらしい演技を続けるつもりらしい。 「うるさくしてすみません、俺ら次で降りるんで」 「――――んーーっ、んーーぅっ」  周りに頭を下げる男の手の下で、ただ言葉にならない抵抗の声を上げることしかできない。  次の駅が近づき、電車の速度が落ちてくる。  このまま、男に電車から降ろされたら……、でも、その方が隙をついて逃げることができるかもしれない。  逃げられるだろうか……。  がっちりと捕まえられた腕は、藻掻いても藻掻いても、びくともしない。力では敵わないことが、悔しかった。  真っ暗な地下トンネルから、電車が駅へゆっくりと滑り込んで、窓の外に明るいホームの光が見えてくる。  その時、突然僕の持っているボディバッグの中で、スマホの着信音が鳴り響いた。  いつもはマナーモードにしていたのに、バッグの中で何かの拍子で切り替わってしまったのか。  だけどそのおかげで、周りから視線が集まり、僕を拘束していた男の手も弛んだ。 「駄目じゃないか、マナーモードにしとけって、いつも言ってるのに。早く切れよ」  男は、まだ馬鹿みたいに演技を続けている。  でも周りに迷惑になるのは本当で、僕は慌ててバッグの中を探り、スマホを取り出した。画面に映し出されていた名前は、“石田朔也”。 「……え?」  朔さんとは前に連絡先の交換をして、あれから打ち上げの時に一度会ったけど、スマホに連絡がきたことは、今まで一度もなかったのに……。  こんな時、本当ならすぐに電源を落として、電車を降りてからかけ直すのがマナーだろう。  だけど、僕は思わず通話をスライドさせた。 「大丈夫か?!」  スマホを耳に当てるまでもなく、声が聞こえてくる。スマホからと、それからこの満員の人混みから。 「え?」 「そいつ、岬くんの知り合い?」 「――っ、ち、違います!」  窮屈な中で、顔だけ振り向いても、視界には男の着ているワイシャツしか見えない。

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