92 / 138

かりそめ(34)

 家の前まで送ってくれた宅間さんは、エンジンをかけたまま一旦運転席から降りてきた。 「では、私はこれで失礼します」 「なんだ……帰るんですか? 僕に遠慮しないで泊まればいいのに」  なんとなく、自然にそう思ったから言ったんだけど、目の前の二人は揃って顔を真っ赤にした。  そして、一拍置いて二人同時に声をあげる。 「え?」 「え?」 (――ホント……息もピッタリじゃない……) 「な……、さっきから何言ってんの伊織は」  だけど、慌てるカズヤさんとは対照的に、宅間さんはすぐに落ち着きを取り戻した。 「今夜は親子水入らずで、ゆっくりとお過ごしください。久しぶりだし、話したいこともたくさんあるでしょう?」  カズヤさんより年下のはずなのに、宅間さんの方が余裕があって大人っぽく見えた瞬間だった。 「それでは社長……、明日は17時にお迎えに参ります」 「……分かった。今日はお疲れ様」  赤く頬を染めたカズヤさんに、宅間さんはさり気なくそっと目配せをして車に乗り込んだ。  そういう仕草のひとつひとつに、“二人だけの世界”みたいなものを感じる。  宅間さんの車が角を曲がり、見えなくなるまで見送っていたカズヤさんの背中に、僕は思わずお節介な言葉を投げた。 「会社では、もっと気を付けた方がいいよ」  慌てて振り向いたカズヤさんの表情が、自分の父親なのになんだか可愛いと思ってしまって、つい口元が弛むのを隠すことができない。 「な、なにが?」 「いつから付き合ってるの?」 「……いや……それはまだ……」 「え? まだなの?」  てっきりもう恋人同士だと思ったんだけど。 「……まだ……はっきりとは……」 「ふぅん……」  俯き気味だったカズヤさんが、はっと顔を上げた。 「いや、何を言ってるんだぼくは……違う、違うからね、伊織」 (――別に隠さなくてもいいのに……)  笑いをこらえながら家に入ろうと足を進める僕に、カズヤさんが後ろから声をかけてきた。 「伊織、ちょっと散歩しないか?」 「うん?」  振り返ると、カズヤさんは少し照れたような表情で微笑んでいた。 「酔い覚ましに、久しぶりに海岸通りを歩かない?」  僕も微笑みを返した。 「酔ってるのはカズヤさんだけでしょ?」  そう言って、先に僕が海岸通りの方向へ足を向けると、カズヤさんが追いついてきて肩を並べる。  柔らかな潮風が吹いてくる方角へ、二人してゆっくりと歩いていく。まだ蒸し暑さが残る夏の夜の空気が、少しだけアルコールで火照った肌には心地良く感じた。

ともだちにシェアしよう!