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かりそめ(38)
「初めて伊織に会ったのは……君がまだ中学一年の頃だったね」
カズヤさんは、砂浜の向こうに広がる夜の海へ視線を向ける。そして昔を懐かしむように目を細めながら微笑んだ。
「あの時の君は、鈴宮さんをとても慕っていて、鈴宮さんも本当に君を自分の子供として育ててくれたんだなということが、手に取るように分かった」
――それがちょっと悔しかったりもしたけどね……。と、言葉を続けながら苦笑を零す。
最初に会ったあの時、母が死んで血の繋がりのない鈴宮の父と暮らしている僕を、カズヤさんは引き取るつもりで会いに来た。
だけどその時の、僕と鈴宮の父との様子を見て、そうすることを諦めたんだ。
(――あの時はまだ、僕と父さんは、本当にごく普通の、父と子の関係だった……)
――『ねえ、伊織くん、僕達は友達になれないかな。家族にはなれないけど、君の話し相手くらいには……いや、おじさんの相談相手になってほしいんだけど』
二度目に会った時に、カズヤさんがそう言っていたことは、今でもよく憶えてる。
「だけど突然、伊織を引き取ってほしいと鈴宮さんから連絡がきた時は、正直驚いたよ」
その記憶は、まだ僕の胸の奥深くで小さな痛みを残していた。恨んでいるわけじゃないし、囚われているわけでもない。あの時、鈴宮の父が僕を突き放してくれたからこそ、今の僕があるのだから。
(――あれが、父さんの……優しさだった)
ただ少しだけ、本当に、ほんの少しだけ……切ない想いが込み上げる。
「あんなにお互いを大切にしていた鈴宮さんと伊織の間に何があったのかは、ぼくには想像もつかない。だけど、テレビで雨宮教授を見た時に、もしかしたら……」
カズヤさんは、そこで一旦言葉を区切り、遠くを見ていた視線を、僕へと移した。
「もしかしたら、伊織はまだ鈴宮さんに、何か特別な想いを残しているんじゃないかと思ったんだ」
僕を見つめる眼差しは、優しくて深い愛情が籠っている。そしてそこには、少しの表情の変化も逃さないというような、鋭い光も孕んでいた。
――特別な想い。
その言葉には色んな意味が含まれているのかもしれないけれど。
僕の想いはただひとつだけ。はっきりとしている。
もう迷うことは、絶対にない。
「伊織……」
優しくて、厳しい眼差しが、僕を見据えてる。
「……雨宮教授は……離れてしまった父親の代わり……、じゃないんだよ」
それは、僕を引き取る時に、高校の担任だった藤野先生がカズヤさんに言った言葉と、そっくり同じだった。
――『……伊織くんは……失くした恋人の代わり……、じゃないですよ』
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