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かりそめ(45)
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宅間さんが迎えに来たのは、約束の17時よりも30分以上早い時間だった。
でもそれはいつもの事。
あまり時間を気にしないカズヤさんを「そろそろシャワーでも浴びて準備したら?」と、急き立てるように浴室に押し込んだのは、ついさっきの事だった。
どのスーツを着ていくのかだって、カズヤさんのことだから、きっとまだ決めてない。
宅間さんも、カズヤさんのそんなところはよく知っていて、いつも約束の時間よりも早めに迎えにきてくれる。その約束の時間というのも、たぶん最初から早めに設定しているのだと思う。
「社長はどちらに?」
「浴室です。たぶん今頃、シャワー浴びながら髭剃ってると思う」
背の高い男の顔を見上げてクスっと小さく笑うと、宅間さんも苦笑いを零した。
「スーツの準備は……」
「そんなの、してないに決まってる」
これもいつもの、慣れた会話だった。
「では、私が準備してもよろしいですか?」
「もちろん。お願いします」
宅間さんに二階へ上がるように促して、階段を上がっていく広い背中に、もう一度声をかけて呼び止めた。
「宅間さん……」
「はい」
足を止め、手摺りに手を置き、振り向いた宅間さんの精悍な顔見上げた。
――きっとこの人になら、安心して任せられる――――カズヤさんの幸せを。
「……父のこと、よろしくお願いします」
「もちろん」と言って、笑みを零した宅間さんに、僕は言葉を付け足した。
「……幸せにしてあげてください」
宅間さんは一瞬だけ驚いた表情を浮かべたけれど、すぐさま途中まで上がりかけていた階段をまた下りてきて、僕に真っ直ぐな眼差しを向ける。
律儀で真面目な男だ……と、心の中でほくそ笑み、でも表向きには真剣な表情で、宅間さんの次の言葉を待っていた。
「今よりも、もっと幸せにします」
期待通りの答えが返ってきて、僕は思わず破顔して、大きく頷いた。
「約束ですよ」
つい言ってしまったと、いうような表情で真っ赤になっている宅間さんに念を押せば、精悍な顔がより一層赤く染まった。
「――あれ? 宅間、もう来てたの? まだ時間じゃないのに……」
突然呑気な声が僕達の間に割って入り、二人して弾かれたようにリビングの入口に視線を向ける。そこには、バスローブに身を包み、濡れた髪をタオルで拭きながら不思議そうな顔でこちらを見ているカズヤさんが立っていた。
「しゃ、社長……! ちゃんと髪を乾かしてください」
慌てた様子で、宅間さんはカズヤさんの背中を押しながら洗面所へ向かう。二人の後ろ姿を見送りながら、僕はソファーに腰を下ろした。
「いいなぁ……」
なんとなく羨ましくて、そんな言葉が小さく漏れてしまう。
教授は今頃、何をしてるんだろう。恋しい人の顔を思い浮かべながら、ポケットからスマホを取り出した。
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