105 / 138

かりそめ(47)

「え……?」  教授の言葉の意味を、すぐには呑み込めなかった。予想もしていなかったから。 「帰ってきてるんですか?」 『ああ……帰ってきた』  はっきりと答えてくれた言葉が嬉しいのに、これは夢じゃないかって、まだ半信半疑だった。   「帰るのは明日だとばかり……」 『……早く、伊織に逢いたくなってね』 「……先生……」  心臓が嬉しさに高鳴り、うまく呼吸ができなくなって一瞬言葉が詰まる。 (――僕も、早く逢いたかった)  教授が家を出たのは、昨日の朝のことなのに。たった一日半、離れていただけなのに。あの広い胸が、あの優しい腕が、僕を見つめるあの黒い瞳が、全部が恋しくて……。 「僕も、今からすぐに帰ります」  心が逸り、通話を続けながら、足は部屋に置いてある荷物を取りに行くために階段を上がりはじめる。  だけど教授の声が、それを留まらせた。 『いや、そんなに焦らなくてもいい』 (――どうして?)  僕は、すぐにでも逢いたいのに。 「……父のことなら、今夜は仕事の関係で出掛けるので気にしなくても大丈夫です」  もしかしたら、教授はカズヤさんを気遣っているのかもしれないと思った。でもカズヤさんは今から出かけるし、きっと遅くなる。だから僕が帰るのは、今でも明日の朝でも大して変わらない。 『……いや……、そうじゃなくて……』  電話の向こうの声が、どこか言い難そうに口ごもる。 「……先生?」 『実はもう、君の家の前まで来てる……』 (――――え?)  スマホを耳に当てたまま、僕は玄関へと走った。パタパタと音を鳴らすスリッパが、途中で片方脱げてしまっても、気にせず先を急いだ。  三和土に置いてあったスニーカーを引っかけて、玄関ドアを大きく開く。ここから一直線に見える門扉の向こう側には、誰もいない。  芝生の中央に敷き詰めたタイルのアプローチを走り、門扉を抜けて短い階段を駆け下りて、まず左方向に視線を向け、誰もいないのを確認して次に右方向を見た。 「……先生」  そこに停車している教授の車を見つけた。  運転席側のドアが開き、降りてきた愛しい人の姿に胸が熱く震える。  たった一日半離れていただけなのに。今までだって逢えない日は普通にあったのに。  僕はもう、教授のいない世界では、きっと生きていくことはできないんだと、心底そう思った。  教授の傍に駆け寄って、優しい瞳に一日半ぶりに見つめられる。  抱きつきたい衝動に駆られるけれど、それを堪えて見つめ合う。  教授は困ったように眉を下げ、苦笑を零した。 「突然すまない。ひと目だけでも顔が見たくてね」

ともだちにシェアしよう!