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かりそめ(58)

 ******  夏休みが終わり9月の半ば頃には大学院学内推薦選抜の面接が行われ、僕は無事に合格することができた。  これで来年の四月からは、僕も院生になれる。これからもずっと教授と同じ道を歩んでいく、その夢の第一歩だと思ってる。  そして、前期の成績表も出て、もうすぐ四年次も後期に入る。  卒業所要最低単位は既に十分取れていて、後期は卒業制作にすべての時間をかけることになる。  僕は、それとは別にグループ展に向けての準備も進めていた。  朔さんの言っていた“沖縄空手”や、自動車免許の取得などの為にはお金が必要で、やはりバイトをするべきだと思っていたのだけれど……。教授にバイトのことだけ話してみると、『今は、バイトをするよりも先にやるべきことがあるんじゃないか』と言われてしまった。  将来作家としての道を進むのなら、できるだけ多くの絵を描くことだと教授は言った。  コンクールに積極的に応募することと、まずはグループ展に出展することが、僕の今の課題となった。  大学生の頃から大型の個展で作品を完売させていた教授のようになるには、まだまだだけど、今は出来る限りのことをやってみようと思う。  だけどそれとは別に、やっぱり自分の身は自分で守りたいという思いは強くなってきていた。    教授に“沖縄空手”のことを話した時、『朔と通うのか』と言って、最初はあまりいい顔をしなかった。  だから僕は、岬の家に帰った時の電車の中で起きた事を正直に話してみた。そういう事があったから、強くなりたいんだと伝えたくて。  そうしたら、普段穏やかな教授が珍しく怒りをあらわにした。 『……ごめんなさい』  その迫力に、僕は思わず謝ってしまった。  あの時のことは、電車を乗る前に予測できたのに、乗ってしまった自分が悪いという後ろめたさみたいなものがあったから。  だけど、僕が責められたわけではなかった。 『伊織が悪いんじゃない。そういう卑劣なやつが悪いんだ』  僕のために怒ってくれる教授に、不謹慎にも胸がキュンとしてしまったことは、神妙な顔をつくり、その下にこっそりと隠した。

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