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かりそめ(60)

 毎日こうして話しかけていると、潤さんには会ったことがないのに、何故だか昔から知っている人のように思えてくる。  教授が、『伊織のお母さんは、俺にとっても家族だから』と言ってくれた気持ちと、似ているのかもしれない。  教授より四歳下の潤さんが、もしも生きていたら今年三十四歳になっていた。  僕には兄弟がいないから、潤さんが生きていたらどうだっただろう……なんて、勝手に楽しい想像をしてしまう。 「会ってみたかったな……」  そんな想いが込み上げて、無意識に言葉が口から零れてしまい、僕は潤さんの写真に笑みを向けた。  それから、四畳半の部屋から広縁に出る。  隣の部屋の障子に手を掛けながら、ふと庭へと視線を巡らせた。  十月も半ばを過ぎると、急に冷え込む日も多くなってきた。さっき潤さんに報告した庭の紅葉は、昨日よりも紅が鮮やかになった気がする。春や夏に比べて彩りの少なくなった庭の中で、色づいた葉が朝の光を纏い一斉に輝き出した。  その美しい光景に、僕は目を細め、暫く見入っていた。  こんなに穏やかで美しい朝を迎えることができるなんて、高校の頃は想像もしていなかった。  今が幸せすぎて怖い……と、時々思う。  幸福な日々が、ある日突然何かの理由で失ってしまう怖さも、僕はよく知っているから。  だけど、何があっても諦めたりしない。手を伸ばしてやっと届いた光を、僕は手放したりしない。  今、お互いが相手を想い、相手を愛している、この瞬間があるのだから、きっと大丈夫。  障子をそっと開けて中を覗けば、教授はまだ布団の中で眠っていた。その穏やかな寝顔に、すっと心が和む。少しの不安なんか全部吹き飛ばしてくれる。  僕がこの家で暮らし始めた頃、教授がこの部屋に敷いてくれた二組の布団は微妙に離されていて、その僅かな距離がもどかしかった。  それが、だんだんと距離が縮まり、くっつけて敷くようになった。  そして、せっかく二組敷いたのに、片方は使うことがなくなっていった。  最初は別々の布団に入るのだけど、結局途中で、どちらかが相手の布団に移ることになって、そのまま朝まで一緒に眠るから。  時には教授が掛け布団を捲り、『おいで』と短く誘う。  時には僕が、『一緒に寝たい』と強請って潜り込む。  時には部屋の電気を消す前から深く口づけて、互いの身体をまさぐり合いながら掛け布団の上に倒れ込む。  だから最近は、もう最初から一組しか敷かなくなってしまった。  ――『いっそのこと、ベッドを置くか……』  ある日教授が、そんなことを言い出したけれど、僕はこの部屋にはベッドよりも布団の方がいいと、反対した。  だから今は、ダブルサイズの布団で二人で寝ている。  

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