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かりそめ(74)
潤さんは、この家で暮らしたことはなかったし、あの風呂も、たぶん使ったことはない。
今の僕の歳と同じ二十二歳で家を買うということは、それなりに覚悟が必要だったと思う。それでも教授は、潤さんが生まれ育った土地を離れても不安にならないようにと、多少の無理をしてでも間取りの似たこの家を買おうと決めたのだろう。
「まだまだ綺麗だし、僕はもう少し、あのお風呂を楽しみたいな」
僕は、潤さんではないけれど……。その時の教授の想いに寄り添うことが出来ればいいなと思う。
いつかは、傷んでしまった所は変えないといけないだろうけど、できるだけ買った時の姿のままの、この家で暮らしたい。
だって、この家は、僕の生まれ育った家にも似ているから。浴槽はヒノキじゃなかったけど、なんとなく今のままのこの家に愛着を感じるんだ。
だけど教授は、「うーん」と、小さく唸り、まだ考え込んでいる。
「いつも小さな浴槽に慣れてると、どこか旅行に行った時に、ゆっくりと温泉に浸かったら、すごく感激するかもしれないし……」
と、ちょっと苦しい提案しか浮かばなくて、自分でも笑ってしまったけれど。
「……温泉か……それは良いね」
教授は、意外にも僕の提案が気に入ったようで、口元を綻ばせ、「春になったら行こうか……旅行」と、続ける。
「三月までは、卒展やグループ展の準備で何かと忙しいけれど、それが終わったらどこかに旅行に行こう。伊織の進学祝いも兼ねて」
「――はい! すごく楽しみです」
嬉しくて、教授の首に腕を絡めて抱きつくと、背中に回った手がぎゅっと、強く抱きしめてくれる。
それで、座卓の上のカタログ達は、今のところは無用の長物となってしまった。
**
秋が深まり、歩道を埋め尽くす落ち葉を踏みしめながら、教授と一緒に大学へと通う道。
冬が来て、冷たい木枯しに煽られて解けてしまったマフラーを、隣を歩いている教授が巻き直してくれる。
一緒に暮らすようになって初めてのクリスマスには、教授が大きなツリーを買って来てくれた。
純和風な居間に置いたツリーに二人で飾り付けをして、ホールケーキを一緒に食べて、たくさん笑って。
年が明けると、近所の神社に初詣に出掛けた。
本坪鈴を鳴らして手を合わせ、今年も健康に過ごせるようにと願う。
――そうやって、ささやかだけど、あたたかい、何気ない毎日を大切な人と二人で、少しずつ積み重ねていく。
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