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かりそめ(76)
岬の家に届いた僕宛ての手紙は、いつもカズヤさんがこちらに送ってくれる。
二階のアトリエの窓際に置いてある机で、僕はその手紙を読んでいた。
少し離れた位置で教授がキャンバスに向かっていて、絵筆を滑らせる微かな音が聞こえてくる。
それぞれ好きなことをして過ごしていても、同じ空間にいると感じる距離感は、とても自然で居心地が良く、何時間でもこうしていられる。
僕は、窓から見える庭の桜に視線を向けた。
生まれ育ったあの家の庭にも、これとよく似た桜の木がある。
僕が小学校に入学した時の記念に植えた苗木がすくすくと育ち、毎年綺麗な花を咲かせていた。
だけど、今の僕にはこの家の庭の桜の方が、目に馴染んでいる。あの枝に花が咲いているところは、まだ見たことがないのに。
ここは、あの家と似ているところが、他にもいくつかある。
玄関の引き戸はそっくりで、カラカラと音を立てて開けると、心地良い木の香りに包まれる。
陽当たりの良い広縁と、外に続く濡れ縁。
風通しの良い間取りのおかげで、夏でも殆どエアコンは使わない。
似ているけれど、違う家。
だけど何故だろう。
この家に暮らすようになって八ヵ月。まだ一年も経ってないのに、もっと長い時間をここで過ごしてきたような気がしてくる。
教授が、潤さんと暮らすために買ったこの家に、僕はいつの間にか馴染んでる。
いつの間にかここは、教授と僕の家になっていた。
「庭の桜が気になるのかい?」
筆を置き、教授が窓際に歩み寄る。
「……あの桜、いつ頃咲くのかなと思って……」
つぼみは、まだ硬い。やわらかくふくらむのは、まだ先のように思えた。
「このまま暖かい日が続けば、三月の下旬には咲き始めるかな。満開になるのはいつも四月に入ってからだけど……」
――そうですか……と頷きながら、僕は手元の便箋に視線を落とした。
いつもと同じ、薄い緑色の便箋に書かれた、いつもと同じ優しい文字。
「鈴宮の家の庭にも、桜の木があるんですよ」
(――あの桜も、なくなってしまうのかな……)
母が生きていた頃は、家族三人で毎年、花を咲かせた桜の前で写真を撮った記憶がある。もう一枚も残ってないのだけれど。
あの家がなくなるのは、寂しいと思う。でも思い出は全部僕の胸の中に焼きついている。
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