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Aquarius(7)

(教授は、もう寝ただろうか)  部屋の手前の階段の所で足を止めて、上を見上げた。  アトリエで仕事をすると言っていたから、もしかしたらまだ起きているかもしれない。 (さっきの事、謝りたい)  仕掛けてしまったのは僕の方だし、明日からも今まで通りに教授に接したい。ただ近くで教授を見ていたいだけだから……。僕の望みはそれだけだから。  さっきの事を酒のせいにすれば、教授も忘れてくれるだろう。その事だけ伝えてから部屋に戻ろうと、急な傾斜の階段をゆっくりと上る。  二階の部屋は一つだけだった。  戸をノックして、「雨宮先生……岬です」と、控えめに声をかけると、すぐに床を歩く音が近づいて、部屋の引戸を開けてくれた。 「どうした? 眠れないのか?」 「いえ……あの、僕……さっきの事、謝りたくて」  教授は少し困った顔はしているけれど、怒っている様子はない。 「さっきは僕、酒に酔ってて……本当にすみませんでした」  それだけ言って、勢い良く頭を下げると、ふわりと髪に教授の掌が触れた。 「悪いのは俺の方だよ。教え子の君にあんな事をしてしまって、本当にすまなかったね」  その言葉に、少しだけまだ胸は痛むのだけど……。 (……良かった。いつもの先生だ)  好きという想いは届かなくても、これからもずっと教授の近くで居られるのなら、それだけで良いと思った。 「まだ仕事されるんですか?」  教授の後ろの部屋を覗くと、幾つかのキャンバスが壁際に立て掛けられていて、その全部に白い布が掛かっている。その中で、一際大きなサイズのキャンバスに自然に目がいった。  その前に椅子が置かれていて、多分今し方までそこに座っていたのだろう、傍らの小さな丸いテーブルに飲みかけの珈琲カップがあった。  そのキャンバスにも、やはり布が掛かっているいるけれど、覆いきれない裾の下から、綺麗な青の色が見えている。 「先生、あれは?」 「ああ、今度の個展のメインだよ」  そうと聞いたら、見てみたくて仕方なくなってしまう。 「見せてもらっても良いですか?」  いつもなら何でも快く見せてくれるから、何も考えずにそう言ってしまったけれど、次の瞬間、言った事を後悔した。 「あれは駄目だ」  そう言った教授の顔が、今まで見たことのない硬い表情で。初めて彼のことを怖いと思ってしまった。 「あ……すまない、あれは駄目なんだ。まだ途中だし、納得出来るところまで描かないと見せられないんだよ」  すぐにいつもの教授の表情に戻ってくれて少しホッとしたのも束の間、 「じゃあ個展、楽しみにしていますね」  と、僕が続けた言葉に返ってきたのは、意外で悲しいものだった。 「君は、来ちゃいけないよ」 (――どうして……?)  やっぱりさっきの事を気にして、僕と距離を置こうとしているとしか思えなかった。 「もう遅いから部屋に戻りなさい」  絶望で目の前が本当に真っ暗になってしまったように感じた。  僕はもうそれ以上何も言えなくて、「おやすみなさい」とだけやっと口にして、そっと引き戸を閉めた。  小さな電球が照らす、急な傾斜の階段を下りて部屋に戻り、冷たい布団に潜って取り敢えず目を閉じる。  その夜は殆んど一睡も出来ず、何が悪かったのか考えても考えても、ただ自分の軽はずみな行動を悔やむ事しか出来なかった。

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