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第4話 参内
身分が高い者にだけ許された深紫 の袍 を着た昴の後ろを、六位の浅葱色 の袍を着た惺が歩く。二人は本日、昴の父である今上帝に会う為に参内 したのである。
「ここで待ちなさい」
清涼殿 の簀の子縁 に上がると、そう言い残して昴はそのまま広廂 へはいった。言葉に従って惺はその場に座って伏した。
昴は帝がおられる昼の御座 に近付いた。
「昴か」
「仰せに従い、我が妻を連れて参りました」
「陰陽の頭の末の息子だそうだね」
「はい」
「こちらへ呼びなさい」
「はい。
惺、こちらへ」
居並ぶ公達が驚いて目を見開いた。通常では彼のような出自の者が、初出仕で帝のお側近くに侍 る事が許されるなど有り得ない事だった。
惺は帝の前で身を縮めて平伏した。
「面を上げて顔を見せよ」
帝の横で典侍 がその言葉を伝えた。惺は恐る恐る顔を上げた。
「名は何と申す」
「お側のお方に申し上げまする。私の名前は惺と申します」
その言葉を典侍が帝に囁く。御簾を隔てただけの距離である。互いの声は聞こえている。だが直接の会話はしないのが決まりである。
その時である。惺の目に黒い煙のようなものが、流れ込んで来るのが見えた。
「どうした?」
息を呑んで北側を見つめる惺の腕を昴がそっと掴んだ途端、彼にも帝の御座に忍び寄る黒い煙が見えた。
「これは…!?」
驚愕に思わず片膝立ちになる。
「如何した、昴?」
御簾の中から帝の怯えた声がした。
「主上、そのまま動かないでくださりませ!
各々方 も動くな!」
昴のただならぬ様子に公達たちは、小さな悲鳴を上げて凍り付いたようになった。
その中を進み出て来た者がある。深蘇芳 の袍をまとった翔だった。
するとどうだろう。黒い煙は怯えたように退いて行くではないか。それを視た惺は二条の屋敷の清浄さは翔の力らしいと悟った。
「何故だ?」
理由がわからない昴は、怯えたような黒い煙の動きに首を捻った。
「東の君さまのお力にございます」
惺は笑顔でそう答えた。
「は…?」
「二条の御屋敷が何故にあのような清浄さに満ちているのか、とても不思議に思っていましたが…今のではっきりいたしました」
惺の明るい笑顔に御簾の向こうの帝も、広廂や簀の子縁にいた公達たちもホッと肩から力を抜いた。
「もう、安心か?」
昴が惺に問い返した。
「いいえ、東の君さまを恐れて退いただけです。陰陽寮から父をお呼びくださりませ。今の内に北側を探索して、呪物を発見して処分する必要がございまする」
「呪物だと!?」
昴の叫びに再び彼方此方 から悲鳴が上がった。御簾の向こうの帝も声を失って震えている。
「間違いないか、惺?」
翔が問い質した。
「どのような物も必ず波のようなものを発しています。呪物には呪物の波があり、今のものはそれを発しておりました」
「波?」
「はい。生きているものは人を含めて波が色として視えまする」
「私たちも?」
「昴さまの色は深き清水のような、美しい碧色に視えまする。東の君さまは燃え盛る炎の色。主上は…錦のような色が視えまする」
惺の言葉に昴と翔は同時に絶句した。彼が現世 に生をうけてからずっと、生命を脅かされていたのはこの力ゆえだったのではないか。普通の見鬼は現世にあらざる存在が視えるのみ。
惺の力は余りにも特別だった。そして惺に逢うまでの昴は、どんなに生まれて来た時に握り締めていた真珠に触れても、見鬼の力が出現した事は一度もない。それなのに今し方は惺に触れた途端に、彼が視ているものが視えてしまった。
それが惺の力ゆえなのか、それとも昴がもとより持っていたものを引き出されたのか。昴は戸惑いながらも、自分が視たものを信じるしかなかった。
帝の命によってすぐに陰陽寮から頭たちが来て、地下人 (殿上を許されない身分の人)たちが総出で床下を探索する。
皮肉な事にその中には惺の兄たちもいた。上の兄は大初位上(初位は一番下の位階)少属 になったばかり。下の兄は未だに無位無冠である。当然、二人共殿上はゆるされてはいない。
惺は従六位下。これは殿上を許される一番下の身分。従って兄たちを廂 から見下ろす事になる。父の頭の身分は従五位下。だが惺は一品親王の妻として別格扱いになる。兄たちは邪魔者にして追い出した弟を仰ぎ見て忌々しげに睨んだ。それに気付いた昴がそれとなく惺を庇った。
呪物は弘徽殿 の上の御局 の床下から発見された。ここは帝の生母、皇太后春華門女院 が参内した折に御座所とする場所だった。
どうやら狙われたのは女院らしい。それが惺の気配に誘われて出て来たと思われたが、頭はそこまでは口にはしなかった。
母を狙った呪詛を未然に防いだと帝は大層喜んだ。妻の手柄は夫の名誉とそれまで無役のままだった昴に、式部卿 の地位が与えられた。
これは式部省の長官の事で、四品以上の親王が任ぜられた。式部省とは宮中の儀式や文官の勤務状況を審査する。今でいう人事関連を行う省庁だった。
その後、祝の品を帝から賜り対面は終了した。
次いで昴は惺を連れて後宮に足を向けた。生母登華殿の御息所と惺を対面させる為だった。今日は外祖父の押小路大納言も来ている筈だ。
弘徽殿横の簀の子縁を通っていると、御簾の向こうにある人の気配が常になく多い。
現在、後宮には帝の女御が登華殿の御息所を含めて5人。東宮の女御が4人いる。東宮が住んでいる梨壷 にも女房たちがいる。恐らくは女御・御息所と女房たちが昴が妻にしたという、少年見たさに弘徽殿に詰め掛けているのだろう。
品定めをするような眼差しと衣擦れの音が、彼女たちの確かな存在を伝えていた。
昴は後宮が好きではない。だから元服と共に後宮から、外祖父の押小路大納言の屋敷へ移った。しばらくして二条に屋敷をもらってからは、勝手気ままな生活をおくっている。
言葉として聞こえては来ないざわめきが先程から耳障りで仕方がない。
私の妻は見せ物ではない……
昴がそう言おうとしたその時、惺が立ち止まった。彼は女たちがひしめき合う御簾の中に向かって、愛らしく頭を下げて言ったのである。
「惺と申します。どうかよろしくお願いいたしまする」と。
御簾の中から小さな悲鳴が上がった。
「なんと可愛らしい 」
「愛々 しい(可愛らしい)」
「愛 くろし(愛嬌 があって可愛らしい)」
溜息と共に好意的な言葉が女たちから溢れ出た。興味津々で冷ややかな彼女たちの心を、惺は見事に覆してしまった。
昴の口元に笑みが浮かんだ。大嫌いな女たちに一矢報 いた気分で快い。登華殿の前に来た時には、彼はこの上なく上機嫌だった。
二人は登華殿には御簾内へと入る事を許された。御息所は惺を家族として受け入れたのである。もちろん彼女は御几帳 の向こう側いて、顔や姿を見せる事はない。
「まあ、なんと愛々しい方」
側の者を介せずに直接掛けられた言葉に、惺は身が震えて平伏したまま顔が上げられなかった。
御几帳の端から彼女の身に付けている衣の一部だけが見える。青紅葉襲 の色目が美しい。彼女に仕える女房たちも楓紅葉 に揃えてある。
青紅葉とは青・淡青・黄・淡朽葉 ・紅・蘇芳色を重ねる。
楓紅葉とは淡青・淡青・黄・淡朽葉・紅・蘇芳と重ねる。
どちらも色が変わり始めた紅葉を表す秋の色目だ。
煌びやかな後宮に惺はただただ目が眩むようだった。
「宮、これを契機に浮かれ遊びはおやめなされませね」
「そのつもりでおります」
生母とはいえ身分は親王である昴の方が上。御息所の父である押小路大納言も娘と孫に礼を取り敬語を使う。帝の後宮に入るとはそのような立場になる事である。同時に親王の妻になった惺にも似たような立場をになったのだ。
「昴さま、式部卿におなりあそばされたそうで、おめでとうございます」
「ありがとう。本当は惺の手柄だから、私がいただくのは申し訳ないのだけれど」
昴は惺に優しい眼差しを向けて言った。
「そんな…私は気付いただけです。何もしておりません。」
慌ててそう答えると、押小路大納言が微笑んだ。
「では私から褒美を取らせましょう」
御息所の穏やかで温かい声がした。すると彼女のすぐ側に控えていた女房が、美しい衣を惺の前に置いた。
「あなたは女性ではありませんからこの先、様々な行事に招かれる事もありましょう」
「ありがとうございます」
惺が平伏して礼を述べる。
「父上 、宮の為にも六位の君の衣装を整えていただけませんか」
惺の物を整える事は昴の親王としての立場を守る事でもある。しいては御息所や大納言の顔を立てる事でもある。
後ろ盾のいない親王や女御は宮中での立場も弱い。親王や女御・御息所でありながら大臣やその身内に、皮肉や暴言を吐かれた話は数限りなく歴史に残っている程なのだ。
そうでなくとも時代が変わりつつあった。乱世の兆しが見え始めている平安末期、親王と言えども気を抜けば、どのような災難が降りかかるやもしれなかった。
昴にすれば権利への欲など元々持ち合わせてはいない。子をつくられない性癖を十分自覚している。今はようやく見出した愛しき者と静かに暮らしたいだけだ。
「承知仕りました」
身分高き孫にあれこれと世話をやける。押小路家は大臣や摂政関白にはなれる家柄ではない。だが富はある。娘を後宮入れる望みは果たした。今上の目にとまり寵愛を受ける身になり、昴という皇子までもうけた。
大納言にすればこれ以上の幸せはない。そして雲上の存在である孫の為に心を尽くす。本当ならば娘か孫娘を昴の妻に差し出したかった。だが彼は女性には興味を持たない。
そこで彼が興味を抱きそうな美少年を探して、いろいろと側に近付けたが結局はすぐに冷めてしまう。ようやく昴が決めたのは押小路大納言とは関わりのない、身分の低い陰陽の頭の末の息子だった。
正直に言うと少々がっかりした。先に来て先程までは御息所を相手に愚痴ていたのだ。不満は帝の怪異を察知する力を見て余計に大きくなった。その力が昴に影響を与えていたのが、ありありとわかったからだ。しかも翔まで巻き込まれている。
何か災いを呼びそうで大納言には不安だった。だが御息所は世俗の穢れとは無縁なような、惺の笑顔を昴の為に良きものと見ていた。親王が相手を求めて夜毎 、浮かれ歩くというのは身分に相応しくない行為である。御息所は母として女性に感心を示さないのは諦めたが、そぞろ歩きを続ける息子を心底心配していた。
「宮、良き方に巡り会われましたね」
「はい」
昴とて母の杞憂 を感じていない訳ではなかった。女性を愛せない自分をずっと、申し訳ないと思い続けて来た。
翔を含めて世の中に、男色を好む者は数多 存在している。しかし彼らは大抵、女性相手でも可能なのだ。女性の妻を持ち男色をも嗜 む。
たしかに翔はどちらかと言うと男色を好む方ではある。
女は面倒くさい、と言う。
誰かに執着するよりも、昴と酒を酌み交わして語り合う。その方が楽しいと口にする。友情以外の感情は互いにないが、昴にしても心休まる相手は確かだ。良き理解者でもある。
先程、惺が口にした事が事実であるなら、彼が平穏無事に暮らせるには翔が、必要不可欠な存在だという事になる。
翔は従兄弟であるが不思議な縁で結ばれた仲だった。翔の母の乳母が押小路大納言の妻なのだ。それで遊び相手にと彼女が後宮に連れて来たのがきっかけだった。昴は母と乳母以外は自分の側に近寄らせない子供だった。
ところが翔には自ら近付き自分の真珠を見せて触れさせたのである。幼い頃の昴は自分が他者からすれば、異質な存在だと肌で感じ過ぎる程感じていた。母に仕える女房たちでさえも、親王に対するのを超えた、ある種の畏れを持って扱うのを感じていたのだ。祖父の大納言でさえも。
ましてや隙あらばライバルを蹴落とす事に躍起な後宮の女たちは、昴の事を物の怪のように言って忌み嫌う。表立った能力はなくても自分を巡る周囲の雰囲気には、否が応でも昴は過敏にならざるを得なかった。
だが翔は純粋に昴との出会いを喜んだ。まるで旧知の友と再会したように。昴は元服を終えると後宮から出る事を強く望んだ。最初は押小路大納言の屋敷に移り、今の屋敷を手に入れてもらって手入れして移った。
同時に翔を誘った。話し相手が欲しかった。翔だけが昴を本当の意味で理解してくれた。冗談を言い合い、月を肴に酒を酌み交わす。後宮の生活では得られなかった、静かで穏やかな時間を過ごせるようになった。
ただ翔との間にあるのは深い友情。穏やかな日々が当たり前になると、もう一つの渇望が心をしめた。
誰かを愛したい。
愛しい者と生きていく。
女性を愛せない自分を受け入れて愛してくれる存在はいるのだろうか?男色が珍しくない時代になったとはいえ昴は特異と言えば特異だった。
最初はそれこそ祖父の押小路大納言が見付けて来た少年だった。だが昴はこの少年に酷く傷付けられた。彼は親王の恋人という立場を欲していた。それによって自分の将来の身分が上がる事を望んでいたのだ。
見目の麗しい少年で昴の前では従順だった。だが聞いてしまったのだ。とある屋敷の宴に招かれた折に酔い醒まし庭にいた時に。
少年は何人かの友人らしき者たちと、簀の子縁で昴の噂話に興じていた。それを全部聞いてしまったのである。
彼は自分への気持ちは微塵も持ってはいない。
それを知った昴はしばらく食事も喉を通らない状態になり寝込んでしまった。もちろんその少年とはそれっきりだ。
次に大納言が見付けて来た少年も、似たり寄ったりな結末を迎えた。大納言自体に思惑があったのだから、少年たちも同じ穴の狢だった。
昴は次第に失望して行った。結果、一夜の情事の為に浮かれ歩くようになってしまったのだ。それは昴を失望から絶望へと誘いつつあった。次第に荒れて行く昴を、諫める事は翔にも出来なかった。
そんな折、聞こえて来たのが惺の噂だった。昴と同じく珠を握って誕生した少年。運命のようなものを感じながらも、興味半分で文を出した。
この手の文は2~3度は断りの返事が来る。普通の公達だと無視される事もある。だが差出人は今上帝の皇子だ。返事を書かない訳にはいかない。だから断りの文が来る。メゲずに書き続ければ、余程の事がない限り色好い返事が来る。
けれど陰陽の頭からは断りの返事しか来なかった。文と一緒に贈り物をしても使いは持ち帰って来た。昴の親王という身分が通じない初めての経験だったのだ。
もし天が定めた運命があるならば、そのような星を持った二人がいるというならば。昴にとってそれは、惺しかいないと今は思っていた。彼と出逢ってから自分の身に起こる不思議。それすらも昴は惺との出逢い故だと思っていた。
「女院さまのお生命 を狙った者がいるそうですね?」
「はい」
「恐ろしい事」
御息所は絶え入りそうな声で呟いた。
「何ゆえに女院さまを狙ったのでしょう?」
側に使える女房の一人が誰に言うとなく言う。
「惺、お前にはわからないのか?」
「呪詛を行ったり依頼なされた方に近付けばわかります」
「わかると言うか!?」
「はい。そのような御方は波が濁りますゆえ」
昴は絶句した。確かに犯人を割り出せるというのは、凄まじい能力だとは思う。だがそれはとてつもない危険を惺は背負う事になる。
「六位の君、本日参内した公達の中にいましたか?」
御息所が扇で顔を隠しながら、身を乗り出して訊いた。
「お側の……」
「直答を許します」
「ありがとうございまする。
恐らくは……と思われる御方がひとり。浅紫 の衣をお召しであられました」
「浅紫か…左右の大臣のどちらか」
「なんと恐ろしや」
女房たちがさんざめく。
「軽々しく口に出来る事ではありませぬ。
皆、口外はせぬように」
御息所の言葉に全員が承諾した。
昴と惺は日が傾き始めた頃、牛車で宮中を退出した。途中、騎馬した翔が合流した。朱雀門前の二条大路を西へ、西堀川へ向けてゆったりと進む。
「なる程な…左右大臣か。可能性があるのは左大臣か。娘御の梅壷の中宮が産ませ参られた東宮は、元服なされてから随分過ぎた。
そろそろ高御座 に就かせたいのであろうよ」
東宮は昴の4歳上の兄親王である。現在は後宮の梨壺 に住んでいた。
桐壺 ・宣耀殿 ・麗景殿 ・貞観殿 には彼の女御が入内しており、桐壺の女御には既に皇子が二人誕生していた。
桐壺の女御は左大臣の末の娘である。
今上帝の生母である皇太后は、王女御 (皇族の姫君)である為、左大臣にはうま味がなく余り嬉しくない。外祖父としての力を振るうには、やはり自分の娘が産んだ皇子が即位する必要があるのだ。
今上帝に退位を迫るにしても一番障害になるのは女院なのだ。上皇政治へと移行しつつある時代ではあったが、未だ帝の立場は強かった。
翔にすれば、東宮の即位は遅い方が良い。梅壺中宮 は昴を最も嫌っている女だからだ。従って東宮が即位した場合、昴にどのような災厄が降りかかるかわからないのだ。
牛車の横で馬を進ませながら今回の呪詛が、左大臣の仕業であるならば逆に好機かもしれない…と考えていた。
「止めてください!」
惺の叫び声に我に返って、翔は自分たちを待ち構えている人影を認めた。
「道をあけませい!式部卿宮の車なるぞ!?」
翔のよく通る声が、黄昏時の二条大路に響いた。
人影は顔を覆って正体が見えない。彼らは無言で太刀を抜いた。
「なる程な。呪詛を惺に見破られた意趣返しか」
「東の君さま。そのままでいらしてくださりませ」
「何をする?」
「式を出します」
惺の自信に満ちた声に、翔は牛車を見て笑みを浮かべた。
牛車の中では惺が懐紙に文字を書いていた。昴はそれを興味深く眺めている。
書き上がったそれに惺は息を吹きかけた。すると紙は惺の手を離れて外へと飛んで行く。道を塞ぐ男たちの前で紙は白虎に変化した。
「ひぃっ!」
男たちが恐怖の悲鳴を上げた。突然、目の前にいるはずのない虎が出現したのだ。驚かない筈はない。
白虎は低く唸りながら、ゆっくりと男たちに近付いて行く。
男たちはジリジリと後退る。恐怖にかられたひとりが、牛車目掛けて矢を放った。だが俄 かに風が巻き起こり、矢はあらぬ方向へと流された。
惺はすぐ横で自分と同じように外を見ている昴に息を呑んだ。全身から碧 い(エメラルドグリーン)光が溢れていたからだ。目が眩みそうな程の光だった。
ふと斜め前に目をやると、翔の全身も緋色の炎のような光に包まれている。
白虎が高く吼えて男のひとりに飛びかかった。
「うわああああ!」
仲間を見捨てて男たちが逃げ出した。
「惺、近付いても大丈夫か、あれは」
「はい」
翔は馬を降りて随身たちと共に、白虎が抑え込んでいる男に近付いた。白虎はまるで猫のように喉を鳴らして翔たちを出迎えた。
随身 たちが恐る恐る男を掴むと、白虎はパラリとと元の紙に戻り、空中に浮かんだまま青白い炎をあげて燃え消えた。
そこへ検非違使 が駆け付けた。誰かが知らせたらしい。男を検非違使に渡して、ゆっくりと牛車は動き出した。
だが惺はじっと目を閉じたままだ。何となく触れたり声をかけたりするのは、良くない気がして昴は黙って様子を見ていた。
すると屋敷近くまで来て惺が目を開けた。
「あの者たちは東の堀川へ」
惺は別の式を飛ばして、逃げた賊の後を追っていたらしい。
「やはり左大臣か」
屋敷に入って3人で確認した後、翔は東の対屋へ下がった。
「今日は疲れただろう」
「はい」
「明日は非番だ。二人でゆるりと過ごそうか」
「はい」
含羞 むように頬を染めて、俯いてしまった惺を可愛いと想う。昴はその手を掴んで奥の寝室へと入った。
惺にとってめぐるましい一日だった。
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