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凪沙 第1話
何かがおかしい。
……当たり前が当たり前じゃなくなった時、初めて気が付くことがある。
どんな時でも誰よりも近くにいた。そばに居ることが当たり前で、他の誰もその場所に立つことはなかったはずだった。
「なぎさ」
同じ音程で同じリズム。長い間その耳障りの良い声で呼ばれてきた。最近、耳に馴染んだその声がよどんで聞こえる。耳の周りに水の膜が張っているかのように遠くでぼんやりと響く。
何?何が起きたのと不安になる。
「どうした?ぼんやりして」
修斗に肩をぽんと叩かれて、ぱんと水泡がはじけた。そして、いつもの声が聞こえてきた。目の前に立っているのは見慣れた笑顔。どうした?ってそれは僕の台詞。笑顔の裏に何を隠しているの。
「今日、学校の帰りに修斗のところに遊びに行こうかな」
「今日か?うーん、イトさんに買い物頼まれてんだ、また今度な」
また今度。
この前は何だったっけ?確か何かの調子が悪くて業者がくるとか、来ないとか。その前は……。
明らかに修斗は僕を避けている。
「じゃあ、明日は?」
「まだ、わかんねえな」
ほら、おかしい。僕は何かしたのだろうか?
「うん、また」
あの日から、あの日からだ。
先月、風邪をひいて珍しく修斗が三日も学校を休んだ。そして休み明けに登校してきた日の朝からなぜか見えない溝ができている。
本当に些細なことだった。学校の玄関で下駄箱から上靴と取り出そうとしてしゃがんだ修斗がいた。いつものように肩に手をかけて声をかけたとき、ぴくりと修斗が身を引いた。
確かその前に僕は修斗に告白された。
親友だと思っていた相手から、恋心を明かされて困惑した。
けれど悩んで、悩んで最期の瞬間まで親友として一緒にいたいと思った。修斗のいない日々を想像できないから。同じように思ってもらえる価値のある人間になろうと、傍にいてもらうに足る相手であるために努力をしようと、そう思った。
修斗はそれでは駄目だと言う、けれど「そういう意味で」好きなのかと聞かれても、今まで一度も考えたことさえなかったから。
離れられないのに、怖い。
一度動き出した歯車は前に前にと進むだけ、逆に回転することはない。吐いた言葉は歩きだし、知らなかった昨日はもう戻ってこない。
修斗の言葉と行動で開かれてしまった僕の心から小さな小人が飛び出した。それは自分も知らなかった顔をしていた。
気づきたくなかった。知らないまま過ごせばいつか、お互いの家族ができてと、そう思っていた。
怖い。先の見えない明日が。それでも誰かが僕よりも修斗のそばにいるということは考えてもみなかった。現実に近藤君が横に並ぶまでは。
そうか僕は修斗の一番じゃなきゃ嫌なんだ。なんて狡い考え方。なんて汚い独占欲。誰よりも優先されて当然と思っていた。
そして今、自分の立ち位置が解らなくなってしまった。
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