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凪沙 第2話

「修斗?おはよう」  いつものように声をかける。修斗は訝しげな表情で僕のことを見ている。どうしたんだろう。具合でも悪いのかな。そう思って修斗の方に手を伸ばした瞬間にぱんと手を払われてしまった。  「痛いっ」  驚いた顔をした修斗が後ずさりした、そして口を開いた。  「誰だ?お前?」  え?僕がわからない?  それとも、もう僕は修斗にかかわるなということ?一瞬にして空気が冷えて、静寂が広がる。自分の心臓さえ鼓動を止めたように静かだ。そして周囲から深い闇が迫ってくる。すべてを黒く塗りこめていく。  どうしよう苦しい、呼吸ができない。何とか呼吸をしようともがいた、それでも迫ってくる闇はどんどんと濃くなっていく。  大きく息を吸い込んだ。その呼吸が声になって、その声に驚いて……目が覚めた。  ……夢、夢だった。頬が冷たい。  手で頬に触れると濡れていた。  駄目だ、修斗がいなければ、修斗が離れていくのが怖い。僕には修斗が必要だ。  前から知っていた、気が付いていた。けれど、認めたくない。何かが変わること。それが怖い。失いたくないけれど、踏み出す勇気もなかった。それももう限界。答えはとうの昔に出ていた。  修斗との間にできた微妙な距離が心に痛い。どうすれば、元の場所に。陽の当たるあの場所に帰ることができるのだろうか。  携帯を手に取って時間を確認する。外はまだ真っ暗だった。  「まだ、三時半か」  もうひと眠りしようと目を閉じてみる。なのに夢にみた修斗の表情がちらついて眠れそうにない。  「あー、ほんとうに。僕はどうしていつもこうなんだろう」  思ったより大きな声が出た。耳を澄ませてみたが誰も起きた気配はない。そっと部屋を出ると玄関に向かった。少し散歩でもして気持ちを落ち着かせようと。  音を立てないように静かに階段を下りる。玄関のドアを開けた時に外の空気が入ってきた。太陽が昇る前のその冷たさに一瞬身震いする。  扉をそっと閉じて外に踏み出す。灯りのついていない隣の家を見つめながら修斗の事を考えた。  「どうしたらいい?もう遅いのかな」  しばらく歩いていると体が冷えてきてしまった。そろそろ部屋に戻らなきゃいけない、明日も学校はあるのだ。ベッドに横になって目を閉じても眠れそうにない。  本当は最初に修斗に好きだと言われた時に答えが出ていればよかったんだ。くだらない後悔がぐるぐると回ってきた。いつまでも待っててくれるはずはないんだよな。もう期限切れなのかな。 「さ、なぎさっ」  体を大きく揺すられて、驚いて目がさめた。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。母親が怒った顔をして布団をひきはがしている。  「遅刻するわよ、何時だと思っているの」  慌てて時計を見ると、とうに家を出ているはずの時間だ。  「遅刻する!」  飛び起きると、慌てて制服に袖を通した。朝食もとらず、カバンをつかむと家を飛び出した。学校に到着したときには既に一時限目が始まっていた。  「どう、しよう」  今まで一度も遅刻をしたことがない。遅れてすみませんと笑いながら入れる勇気はどこにも落ちていなかった。  ドアを開けた瞬間にみんなの視線が集まるのを想像しただけで気持ちが悪くなった。  「無理だ」  階段を上がると聞こえてくるのは教室で話す先生の声、教室の椅子が少し動く音、そして紙がすれる音。階段を上る自分の上靴の音さえ響くのではないかと怖くなるほど静かだ。  なるべく音を立てないように階段を一番上まで上りきった。屋上に出る扉は施錠されているが、その前の踊り場は下の階からは見ることができない。  とりあえず一時間目が終わるのを静かに待とうと、膝を抱えて隅に小さくなって座る。ここにいて二時間目が始まる前にそっと教室に入ればいいんだ。  何もすることのない状態で床を見つめていたら、いつの間にかうつらうつらしてしまった。修斗は今頃僕が来ていないと心配しるかな、それとも気にも留めていないのかな。  考えることはずっと同じことだった。

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