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第29話

 誕生日は結局、何も進展せず後退しただけだったようだ。あの日以来、凪沙の態度がよそよそしい。  どこがどう違うのかと言われるとはっきりしないが、長い付き合いだ。微妙な態度の変化が嫌でもわかってしまう。手が触れそうな瞬間にびくっと凪沙の体が小さく震えるのが解る。  「凪沙、明日から俺少し走りたいから先に行くよ。一駅分走ってから学校行く」  そう伝えると凪沙がほっとしたような顔をした気がした。その表情を見て傷ついたというより、むしろ納得してしまった。  俺は電車で肩にもたれて眠る凪沙の寝顔を見つめる特権を失ってしまったのかもしれない。  気持ちが落ち込んでいるときは、体の調子も崩しやすいのだろう。普段は滅多にひかない風邪をひいた。  「修斗、今日は大人しく寝ていなさいよ」  イトさんに酸っぱく言われて大人しく布団にもぐる。妙な疲れがあっていくらでも眠れそうな気がした。  熱にうなされながら凪沙の夢を見た。だんだんと遠くに離れていく影、手を伸ばしても届かない。夢の中の凪沙はいつの間にか小石くらいの大きさになって俺の声さえ届かなくなってしまった。  夢の中でもがいているときに、誰かの手が頬に触れた。いや実際に誰か外気にさらされた冷やりとした手の感覚が頬にあたった。ああ、イトさんが帰ってきたのかと目を開けると近藤の顔がそこにあった。  「お前……ここで何してんだ」  近藤はにやりと笑うと、俺の耳元で囁いた。  「お見舞いに決まってるだろ。鍵開いてたぞ、不用心だな」  イトさん鍵を掛け忘れたのか。  「帰れよ、もう大丈夫だから。明日は学校行けるし」  「そう?じゃあせっかく来たし」  近藤の手が布団の中に入ってきた。  「何してんだよ、やめろ」  「減るもんじゃないし、いいじゃん」  「お前、本当に止せ」   近藤の手を押し戻そうとした時だった。  「修斗、大丈夫?」  タイミングの最悪な凪沙が、やっぱり最悪なタイミングで入ってきた。まずい、勘違いされた。きっとまた説明も聞かずに逃げだす、そう思った。  ところが凪沙が近藤の肩を掴んで引き倒した。予想外の行動に驚いたのは近藤より俺の方だった。  「やめて、近藤君」  「凪沙、お前には関係ないよな」  「……関係はない。ないけど、修斗が嫌がってる」  ふふんと近藤は笑うと、立ち上がった。  「明日な、荻野」  相変わらず薄ら笑いを浮かべたまま、近藤は部屋を出て行った。気まずい空気が流れる。  「もう……大丈夫なの?」  「ん、軽い風邪だから」  それだけ言うと凪沙は床に座って困った顔をしている。  「ごめん、余計な事したかな?」  「いや、今日は学校どうだった?」  当たり障りのない話題に終始する。それ以外に何ができるのだろう、この状況で。  「……」  「凪沙?」  「修斗はさ……誰でもいいの?」  え?何を言い出すんだ。誰でもいいって。  「お前、なんの話してんの?」  「だって、近藤君が」  それだけ言うと凪沙は下を向いてしまった。俺からどんな答えが欲しいのだろう。俺に何を言わせたいのだろう。  「誰でも、なんでも良いわけじゃない。お前じゃなきゃ駄目だといったはずだけど」  また、どうせ自分の気持ちはわからないの一点張りだろう。しばらく沈黙が続いた。  「悪い、俺もう少し寝るわ。お前、風邪うつらないように帰れよ」  下を向いていた凪沙が顔を上げる。  「ほかの人が修斗に触れるのが嫌だ……」  それだけ言うと凪沙は部屋を出て行った。

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