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第290話 悪者

  手の甲で目元を擦って、 スン───と勢い良く鼻を啜ってから、 ディスプレイの着信をタップした。 「こんばんは」 誰が聞いてもなにも違いになんて気付かない、いつもの声で応答する。 『……遼?』 なのに電話の向こうの声は、俺の変化を知ってるみたいに、窺うように名前を呼ぶんだ。 ───今何してた? ───斗織からの電話待ってた。 掛かって来る時間は疎らだから、いつだって、お風呂に入る時だってスマホは手放さない。 言葉遊びみたいなやり取りと、最後はおやすみの四文字。 だいすき さみしい あいたい すき いつもなら、そんな会話が続いている筈なのに。 「………斗織…?」 俺の名前を呼んだきり黙り込んでしまった恋人の、 俺も名前を呼び返す。 『………後で掛け直す』 「えっ?とお…」 プツ───と 俺の引き止める言葉を最後まで聞かずに、一方的に電話を切られた。 何かあったんだろうか? お母さんに呼ばれた? 斗織のお母さんは、ちょっと斗織のことを独占し過ぎだと思う。 自分には、旦那さんが居るクセに。 …でも、息子はお母さんの恋人だって言うし……。 お兄さんたちはお医者さんで、斗織だけが茶道をしている。 自分の跡取りで、たった1人の宝物。 そう考えると、俺の方が悪者? ……うぅ~~… 読み終わった本を教科書と並べて仕舞う。 幸せな2人は、今の俺にとっては目の毒だ。 やっぱり俺って、斗織に相応しくないのかな…… 斗織は格好良いし、武家屋敷に住んでるし、未来展望完璧だし。 俺と一緒にいたところで、斗織に得なんて……… お風呂の方からお湯が溜まったことを知らせる音がした。 今日は人混みで汚れたから、早くお風呂で流したい…けど…… それより早く戻って来て欲しくて、早く声が聞きたくて。 隣に転がったとおるくんを引き寄せ抱き締めながら、その柔らかな手でスマホをツンツン突付いた。

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