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第320話 竜巻

薄紅色の草履で静々と、裾を乱さぬ流れるような足運びでこちらへ歩いてきたのは、牧…村だっけ? 牧原だったかな? 兎に角アレだ。 探偵を雇って俺のことを調べて斗織と別れろって直談判してきた女の子。俺の恋敵だった。 「先生、こんばんは。そちらの方は、……先日のお兄様ですね」 斗織の背中を覗きこむようにして、彼女は俺の存在を確認した。 また、斗織と別れろって言われるんだろうか…… コートの背中に身を寄せて、斗織の首筋に頭を擦り付ける。 斗織は腕を背後にまわして、俺の腰をポンポンと叩いた。 心配すんな───多分、そう言ってくれてる。 「遅くならないうちに早く帰れ。あのヒステリーババアがウルセェんだろ?」 「まあヒドい。普段はヒステリーなんて起こしませんよ。あの時は先生が母を怒らせるようなことを言ったからです」 「どっちにしろ帰れ」 邪魔だと言わんばかりに眉間にシワを寄せ、俺の腰に手を回すと踵を返す。 そんなあからさまな斗織の態度にも、彼女は決して動じたりはしない。 「そんな事より、お兄様!」 「えっ?…………俺?」 何故か彼女は斗織ではなく、俺の目の前に立ち塞がった。 俺の顔を見上げると、胸の前で両手をもじもじとさせる。 な……なんだろう……? ちょっと怖い……… 「お兄様、おじ様はお元気でいらっしゃいますか?」 「おじ様……?」 「お兄様のお父様です」 焦れったそうに教えられた。 「えっ…と……、父さん??……元気…だけど……」 なんで父さんのことなんて気にするんだろう? もしかして、父さんにまで俺の文句を!? だけど、そんな俺の心配は杞憂だったようで…… 「人の恋人の親にまで色目使うのか、最近の中学生は」 斗織の言葉にハッとした。 でもまさか! こんな中学生が、親子ほど離れた四十路の父さんに!? 「でも、おじ様は独り身だと仰ってました!」 まさかがまさかだったぁぁ……! 「あの時とは状況が変わってんだ。再婚も決まって落ち着いてんだよ。邪魔するな」 「まあ! 邪魔なんてヒドい! 私の方がおじ様を幸せに出来るかもしれないじゃないですか!」 「有り得ねェな。さっさと諦めろ」 「じゃあ先生は、お兄様に他に恋人がいたなら諦めたっていうんですか!?  奪ってやろうとはならないって言うんですか!?」 彼女の変わり身の速さにビックリして話に置いてかれてた俺の鼻先に、白くて細い指先がビシィッ!と突き付けられた。 「えっ?」 なに? 俺に恋人が…なんだって? いたらどうしてたって話!? そんな……斗織は兎も角、俺に恋人なんていっこないし、そもそも俺、モテたためしがない。 俺のこと好きだって言ってくれたの斗織だけだし、俺が好きだって思ったのも斗織だけ。 もし斗織とこうなってなかったら、俺なんて一生、誰とも愛し合う事なく人生を終えてた気がするな…… それ考えたら、斗織と出逢ったのだって奇跡だし、転勤人生の父さんにも感謝しなくちゃいけない。 ───そう、俺が結論づけた直後だった。 「馬鹿かテメェは」 斗織が目を細めて、見下すように彼女に言った。 「俺とコイツは出逢うべくして出逢ったんだ。そもそもコイツは俺んだし、俺はコイツのモンなんだから、奪う奪わねェじゃねーだろ。例え先に誰がいようと、コイツは俺のモンだ。文句あっか!」 とんだ俺様っぷりをひけらかして、斗織はフンッと鼻を鳴らした。 バカだな…斗織……。 質問の答えになってないじゃん。 ばか……だけど、嬉しい。 好きだよ……大好き。 「………馬鹿らしい…です」 彼女が、ポツリと呟いた。 「あ?」 こら斗織。年下の女の子を威嚇しない。 馬鹿なこと言ってるのは本当なんだから、そう言われたって仕方ない。 「そんなに想い合ってるの見せつけて牽制なんかしなくても、もうちょっかい出したりしませんよ。馬鹿らしい。 どれだけ自分をイイ男だと思っちゃってるんですか、格好悪い。 勝手に男同士イチャイチャしてりゃいいんです。もう家元にも言おうと思ってませんから、ご自由に。私は私のそういう相手を探しますから!」 息継ぎもそこそこに捲し立てられた言葉は、悪口だったのか、文句だったのか、それとも……決別の宣言だったのか。 それでは失礼します、と笑った彼女はピンと伸ばした背筋を見せながら、茶道教室の出口の門へと消えていった。 突如発生した竜巻みたいだった。 「…………斗織のこと、格好悪いって…イタッ」 彼女の言葉を反芻してその一節だけを繰り返すと、すかさず頭をゴチンとやられた。

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