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第71話 長兄

【斗織Side】 お稽古を終えて帰って行く生徒さんたちを見送る。 「先生、さようなら!」 「さようなら。気をつけて帰りなさい」 小学生はガキで可愛いな。 「先生、ありがとうございました」 去年まで小学生だった生徒さん達も、中学校に入学して大分落ち着いた挨拶ができるようになった。 和装も様になってきたか。 「先生、今日はどうされました?」 なんだかご機嫌ですね、と大人顔負けの口調で声を掛けてきたのは、一番の古株の牧原だ。 俺が教えるようになったのは中3の3月からだが、それ以前からこの教室に通っていた。 言わば、このクラスでは俺よりも先輩だ。 ご機嫌か…… 口元がフッと緩む。 アイツのせい…なんだろうな。 そう言や、マメにも言われたな。 デレデレしてキショいって。 俺はそんなに分かりやすくニヤけてんのか…? 「もう、12月ですね…」 急に話題が変わったから、その顔を見つめる。 「私4月で中3なので、あと3ヶ月しかお教室に通えないんです」 小4から中2までのクラスだからな、ここは。 「ああ、そうだったか」 3ヶ月……か。 うちの学校は3月までで、4月に転勤でまた転校って言ってたな。 誰が『3ヶ月で別れる男』だ。アイツ、それ本人に言うとか、何気に失礼なんだよな。 さっさと捕まえとかねェと、余裕でへらっと笑いながら逃げてきそうだし、……好きって、その場限りの感情かよ、クソ。 しかし、将来のこと考えると、家元は俺が継ぐとして…… その次は、どう足掻いたってアイツ、子供産めねェしな。 母親も、そういうつもりで早く嫁貰えってウルセーんだろうしな…。めんどくせェ。 「子供の頃はアイドルになりたかったんです。周りからも可愛いって言われてましたし、歌もそれなりに歌えますし」 考えているうちにも、話は進んでいたらしい。 全く聞いてなかったから、既に浦島状態だ。 「ですから、今の私の夢は、我が子を家元に、……と言うことなんです」 牧原の顔は興奮して話していた所為か仄かに赤く染まり、目が合うと視線をそっと逸らされた。 子供を家元に。か。 逆に俺の立場じゃあそれが当たり前すぎて、そんなこと、今まで考えずに来たな。 遼とずっと一緒に居るためには───そうだな。そういう家庭から子供を養子として譲り受けて、家元として教育していくって方法()も……有りか。 だが、血が繋がっていないことをあの人が納得するものか。男同士の元で、未来の決まった人生を子供に歩ませて良いものか……? ガキの俺には、まだ難しいな。色々。 「ありがとな。考えてみるわ」 けど、其処から目を逸らしてもなんも解決しねェ。 遼と一緒に居たいって気持ちは、変わりそうにないもんな。 付き合って、まだ……3日か? 他人に言ったら、いや、家族に言ったら、そんな短期間で何が分かるんだ。勘違いに違いない、って言われそうだけどな。 牧原は、嬉しそうに笑うと、挨拶をして帰っていった。 離れの後片付けをしてから、オレも部屋へと戻る。 部屋着の着流しに着替えて食堂へ行くと、お手伝いのハナさんがすぐに夕飯を用意してくれた。 ちょうどすれ違いに食事を終えた、長兄の一也(かずや)と挨拶を交わす。 「元気か?斗織」 同じ家に住む弟に向けて、元気かとは妙な話である。 それに対して、「ああ、久し振り」と返す俺の言葉もまた、おかしなものだ。 だが事実、家で会うのは久し振りなんだ。 次兄の大和(やまと)は茶室とはまた別の離れに嫁さんと、息子2人、娘1人と住んでるから、まあ滅多に会うことはない。 一也兄さんはもう30だが未だ独身の為、俺と同じく母屋に住んでいる。 それでもなかなか出会わないのは、不規則な医者の仕事の所為なんだろうな。 「あー……時に斗織、寿也(としや)君は元気か?」 「ん?…あー、元気元気。今日も、お前は一辺倒れたらいいとか言われた」 「あはは…。相変わらず毒舌だなぁ」 一也兄さんの言う『寿也君』ってのは、保健室のマナちゃんのことだ。 真中 寿也(まなか としや)。 マナちゃんは下の大和兄さんの高校の級友だが、名前に同じ『也』の字が付くってんで仲良くなったらしくて、一也兄さんとも長く友達付き合いをしている。 つっても、最近は忙しくて会えてねェのかな。 「マナちゃんにも、兄さん元気?って訊かれたぞ。嫁さんと上手くやってんじゃね?っつったら、じゃなくて一也兄さんの方って」 「ほんとか?……ふ~ん…」 嬉しそうだな、兄さん。顔がニヤけてる。 マナちゃんのこと、随分可愛がってるもんな。 「早く帰れる日とか家呼んだらいんじゃねー?」 「明日なぁ…一応休みなんだよな…。保健室の先生って、金曜の夜暇だと思うか?」 「いや、自分で訊きゃいーだろが。電話かけて出なけりゃメールとか」 「今日平日だし、迷惑じゃないか?」 「迷惑なら無視されるだけじゃね?」 「無視って……!!そんなことされたら立ち直れないぞ!?」 「…いや、大袈裟だし……」 向こうも気にしてんだし、無視ってことはねェだろう。 タイミング悪くて電話出らんなくとも、掛け直すか、メール寄越すかするだろうし。 「あ、そういや俺、明日泊まりだから」 「えっ?それは……、家族のいない家に呼んで、何かされるんじゃないかとか警戒されないだろうか!?」 「俺いなくても、親やハナさんがいんだろ……」 なんの心配だ、なんの。 あのマナちゃんに限って、おとなしくやられっぱなしってのも無いだろうし。 万が一にもなんかしたら、何十倍返し必至だろうしな。 兄さんはしばらくソワソワした様子を見せていたが、漸く落ち着きを取り戻すと卓上の湯呑に手を伸ばした。 「で、お前は何処に泊まり行くんだ?竜臥(リューガ)君のところか?」 「いや、恋人ん家」 兄さん相手に隠してもしょーがねェから、正直に申告する。 「女の子の家か?大丈夫なのか?それは」 「いや、男だし、向こうから誘ってきたから大丈夫なんじゃね?」 親に言い付けたり周りに言いふらしたりする人でもないから、そこも正直に話す。 「そうか。男の子なら平気か。………………えぇっ!!?」 ───あ…、さすがに、固まったか。

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