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第2話

 インフルエンザが流行る時期を控え、十月は予防接種希望者が多くなる。  新城北総合病院の小児科では子供だけでなく同伴の親も接種が可能だ。その為か予約は毎日、フルで埋まっていた。  簡単な問診と診察をしてから注射器を持つ。接種する量が多いインフルエンザワクチンは痛いと評判だ。  針を刺す瞬間に「うわ! あれ、なんだ!」等と気を逸らせたり驚かせたりし、その隙に済ませようとするのだがどうしても泣かれてしまう。 「なかなか上手くいかねぇんだよなぁ。良い方法ねぇかな?」  子供と一緒に来ている母親達に気さくに話しかけ、子供の他愛ない雑談にも応じる柴は「かっこよくて面白い先生」と好評だった。  新設された科で、担当医は全くの外部から転属して来た若い医師、しかもまだ診察開始から一週間だというのに、流石は地域に根付いた総合病院だ。口コミの広がる速さも手伝って小児外来は大忙しだった。 「先生、午前の患者さん終わりました。次は午後二時からです」  さっさと診察室を出て行く看護師の言葉を聞いて柴は時計を見た。溜息しか出ない。 「昼休みが十五分しかねぇってどうよ?」  下唇を突き出して不満顔を作るが致し方無い。席を立ち、背伸びしてから診察室を出た。 「どうすっかな……」  おませな少女との約束がある。しかし時間が無い。だが言い訳は聞いて貰えない。  とりあえず外に出よう、と柴は白衣のまま軽やかな駆け足で病院を後にした。  病院の前は広い公園だ。秋になるとイチョウの木が黄金色に染まり、辺り一面、黄色い絨毯を敷いたようになることで有名だった。そこは看護師や医師、入院患者達の散歩の場でもあった。 「どっか、直ぐ近くに良い店ねぇかな?」  公園に入り、グルリと周囲を見回すと一件の店が視界に入った。 「あ、花屋だ」  公園の脇、病院の直ぐ傍に小さな花屋があった。灯台下暗しとは良く言ったものだ。 「花って悪くねぇよな?」  うんうん、と一人で勝手に納得しながら柴は花屋に向かった。  フラワーショップSHIKIという花屋だった。  歩道に面した部分はガラス張りで、店の真ん中に入口があった。入口の右側には色別に分けられた切り花が所狭しと並び、左側には瑞々しい緑の葉が美しい鉢植えが並んでいる。  柴が近付いた時、店内から花を持った長身の店員が出て来た。赤い花を追加で並べようとしていた。 「花、くれ」  丁度良かった、と言うように柴は声を掛けた。  店員が振り返った。身長が百九十センチ近くあるスラリとした男性だった。七三分けの長い髪は後ろで束ねられているが、左側の前髪は鼻の辺りまである長さで少々煩そうに見える。その前髪に隠れた縁無し眼鏡の奥の切れ長な目には見る者に冷たい印象を与える光が潜んでいた。くっきりとした長くシャープな眉、明瞭な鼻筋、感情の読み難い薄い唇はクールな男の代名詞のようで同性でも羨む端正な顔だった。 「どういった花が希望だ?」 「ん~……任せる」  まじまじと店員の顔を見詰めた後、傍の花を見回してから柴は簡単に答えた。一番店員を困らせる注文の仕方だと柴は気付いていなかった。 「予算は?」 「え~と……どれくらいで、どれくらいの花束ができるんだ?」 「目的は?」 「目的?」 「見舞い用とか退院祝とか片思いのナースに渡すとか、色々と目的があるだろう?」 「ナース? そんなんじゃねぇ! 入院中の女の子を元気付ける為の誕生日プレゼントだ!」 「だったら最初からそう言え。花を自分で選べないばかりか、イメージや目的も説明できない医師とは情けない」  客に言う台詞とは思えない言葉だった。 「うるせぇ! 予算三千円で十歳の女の子に渡す誕生日プレゼントの花をくれ!」  これで解ったか、とでも言うように柴は言うと店員を見上げてフンッと鼻を鳴らした。 「アンタ、名前は?」 「聞いてどうする?」 「ここの店長に文句言ってやる! 接客態度がなってねぇ!」 「無駄だ」 「無駄?」 「私が店長だ」 「な、なんだって!」  ニヤリと口角を吊り上げる笑みに柴は敗北を感じた。何故だか解らないが物凄く負けた気がした。コンプレックスでもある身長が一番大きな原因かもしれない。 「お前が店長かよ」 「店長自ら花を選んでやるんだ。有り難く思え。ブーケにするか、アレンジメントにするか、どちらがいい?」 「アレンジメント?」 「花束にするか、ぬいぐるみ等が付いた花籠にするか、どちらだ?」  カタカナ語を言い直した辺りに皮肉が含まれていたが柴は気付かず首を傾げた。 「十歳は子供じゃないのよって言うおませな子なんだ。ぬいぐるみは無い方が良い気がする」 「それなら大きな花束がいいだろう。両手で抱える花束を貰う女性はそう居ない」  店長はそう言うと店先に並んだ切り花の中から手際良く花を選び、束ね始めた。 「あ、悪い。黄色の花抜きで」  店長の手が止まった。 「黄色の花は無し?」  黄色はビタミンカラーなどと言われ、気分を明るくする色として喜ばれる。黄色やオレンジなどの明るい色でまとめようとしていた店長は、柴の注文に一瞬動きを止めたが何も言わずに配色を変えた。  柴の視線の先でバラバラだった花達がひとつにまとまり、不思議な魅力を持つ塊へ変わって行く。ザッと大雑把に花を掴んで輪ゴムでまとめた後、店長はアクセントになる緑の葉を合わせ、長い茎や余分な葉を切り落とし、花の向きを固定するように細い糸で縛った。慣れた手付きに無駄はない。 「花はピンクで統一したが緑で囲んであるから可愛過ぎない。真ん中に白バラを一輪だけ入れた。これでグッと大人らしさが出る。茎を短く切ったから女の子でも持てるだろう。ラッピングとリボンはサービスだ。メッセージカードも付けておこう。女の子の名前は?」  サイズは三十センチくらいだがボリュームが凄い。子供の顔よりずっと大きい花束だ。ラッピングが二重にされている為、余計に大きく見える。 「すげぇ。三千円でこんな花束できるのか? あ、名前は平仮名でさくら」 「病院の先生だからサービスだ。今後ともよろしく頼む」 「サンキュー! 絶対、喜んでくれるはずだ。いやぁ、助かった! あ、これ、何て花?」 「名前と花言葉を教えてやってもいいが覚えられないだろう?」  そう言った店長に頭をポンポンと撫でられた。まるで子供扱いだ。 「ポンポンするな! 俺がチビみたいだろ! 悔しいけど確かに覚えられそうにない。一応バラとガーベラだけは解る。ま、いっか。サンキュー」  柴は渋い顔で文句を言った後、笑顔を店長に向けて会計を済ませた。その笑顔は接客態度がなってないと言ったこと等忘れたように屈託のないものだった。 「超ラッキー! 簡単手軽に良い物が手に入った! 日頃の行いが良いとこういう時助かるぜ」  上機嫌で花屋を後にした柴は、花屋の店長が自分をじっと見詰めていることに気付かなかった。  店長は柴の姿が病院内へ消えてから暫くして眼鏡のズレを直し、何かを思うように首を左右に振りながら店の中へ入って行った。

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