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第3話

 午後の外来診察は二時間だけだが、全員を診終った時には午後五時を過ぎていた。  やれやれ、と背伸びし、自動販売機の前に立った柴は困惑顔の看護師に声を掛けられてボタンを押す手を止めた。今朝、一緒に回診した新人看護師だった。 「何? 俺、もう、上がる。今日の診察は終わりだぜ?」 「いえ、それが……さくらちゃんが……」 「どうかしたのか?」 「『検査で部屋を出ている間に柴ワンコ先生がプレゼントを持ってきたらどうするの!』って言って検査を拒んでいるんです。検温もさせてくれないくらい大暴れで……」 「困ったお嬢様だなぁ。一息吐いてからって思ってたけど解った。直ぐ行く」  柴は缶コーヒーを買って白衣のポケットに入れると医師控室へ寄って花束を取り、さくらちゃんの病室に向かった。  病室の入口は開いていて、看護師長が立っていた。中から看護師や母親の宥める声が聞こえる。看護師長に手を振ってから柴は病室に入った。 「よぉ、さくらちゃん。遅くなって悪ぃ」 「あ、柴ワンコ先生!」 「今日はインフルエンザの予防接種ばっかりだった。俺がどんなに上手くやってもみんな泣いちゃうんだよなぁ」 「あら、私は泣かないわよ。もう十歳だもん!」  嫌だ嫌だ、と駄々を捏ねて周囲を困らせていたお嬢様は得意げな顔で言った。 「待たせて悪い。十歳の誕生日おめでとう」  柴は後ろに隠していた花束を差し出した。  さくらちゃんは目を丸くして口を大きく開けた。 「わぁ……キレイなお花! こんなにたくさん!」  さくらちゃんの母親は花が好きで、よく病室に花を飾っていた。そんな母親も見入っていたから大人の女性でも喜ぶような花束だったことは確かだ。得意そうな顔をする柴の背中を看護師長が小突いた。 「どうしたの? あんな素敵な花束」 「病院前の花屋で買った。店長が花選んで作ってくれたんだ」 「まぁ、店長が? 珍しい!」 「珍しい?」 「あそこの店長が表に出て来ることはまずないのよ。客を選んでいるんじゃないかって噂。店長自ら接客したなんて聞いたことないわ」 「バイトが居なかったんじゃねぇの?」 「あそこに見目麗しいバイトが居ない日なんて無いわよ。見舞い用の花を買いに来る男女の客をガッチリ捕まえる為に常に美人とイケメンを置いてることで有名なんだから」  小声でそう言った看護師長は最後に意味有り気にムフフと笑った。 「気に入られちゃったかもしれないわねぇ」 「?」  どういう意味か聞こうとした柴だったが、嬉々とした表情のさくらちゃんに腕を引かれて言葉を口にできなかった。 「先生、ステキよ! こんな大きな花束もらったの初めて! いつもママが飾ってくれるどんな花よりもキレイ! やればできるのね、柴ワンコ先生って!」 「ほ、褒め言葉として受け取っとく。喜んでもらえて良かった」  花束を両手で持ち、匂いを楽しんだり、目の前で見詰めたり、高くかざして見たり、色々な角度から花を見て楽しんだ後、さくらちゃんはそれを母親に渡した。 「ねぇ、ママ! パパが買ってきてくれたあの花瓶に飾って!」 「そうね。もっと素敵に見えるわね」 「先生、ありがとう! あ、お礼に手を繋いであげるわ。五階の検査室まで一緒に来て」  ようやく検査を受ける気になったのか、さくらちゃんはベッドから降りるとお気に入りのクマのぬいぐるみを抱っこしてスリッパを履いた。 「では参りましょうか、お嬢様」  柴は小さな手を握ると一緒に廊下へ出た。  鼻歌を歌いながらスキップをするさくらちゃんを検査室まで送った柴は医師控室に戻る為に看護師長と一緒にエレベーターに乗った。 「柴先生、あんな花束を贈られたら女性はみんな心奪われるわよ」 「そうか? 看護師長でも?」 「それ、どういう意味? 年寄りが花で喜ぶなんてみっともないとでも?」 「い、いや、そうじゃねぇ。俺、女性に贈ったことねぇから解らねぇけど、彼氏だとか旦那さんだとか、そういう人以外から贈られても嬉しいのか?」 「花なんて食えないし売れないし必要無い、って言う人も居るけど、やっぱり嬉しいわ。特に真っ白い壁に囲まれた消毒液が匂う飾りっ気の無い殺伐とした部屋に居る女達は特に」  看護師長がウフフフフと笑った。 「あ、それ、俺にオネダリしてるわけ?」 「どう受け取ってどうするか、先生の人柄次第よ」  看護師長はそう言うと九階でエレベーターを降りた。 「先生、医師控室は西館二階。本館三階の通路を通って帰ってね」 「ん? あれ? 俺……」 「本館九階のさくらちゃんの病室から中央検査室がある五階へ降りたでしょう? そのまま三階へ降りれば良かったのに、こんな年寄りを九階まで送ってくれるなんて先生は良い人ね」  まだ館内を覚えていないのか、という皮肉を遠回しに言った看護師長はエレベーターの扉が閉まる前に投げキッスを寄越した。 「え、あ! 下だ、下!」  慌てて三階のボタンを押した柴がフーッと溜息を吐いた時には扉が閉まっていた。 「俺、ずっと弄ばれてるなぁ。しかも会う奴、全員に……」  どうしてだろう、と頭を悩ませながら柴は今日一日の勤務を終え、病院を後にした。
作者