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第4話
翌朝――。
柴は出勤前に花屋の前で足を止めた。まだ午前八時前だと言うのに花が店の外に並んでいる。
「もう開店してんのかよ」
感心しながら柴はガラス越しに店内を覗いた。昨日は気付かなかったが店内にはアルバイトと思しき女性が居てミニブーケを陳列していた。容姿に派手さはないが肩まである黒髪が綺麗な清楚な雰囲気の女性だった。
「また誕生日か?」
店内を見ていた柴に店長が声を掛けて来た。昨日と同様、緑のエプロンをした店長は鉢植えに水遣りしようと店内から出て来た所らしかった。
「あ、いや、そうじゃねぇけど……」
「その顔、その若さで渡す相手が居ないとは可哀相に」
「わ、渡す相手くらい居る!」
「では、どんな花にする?」
「え、えと……それは……」
結局、花を買うことになってしまった柴は首を傾げてから千円を差し出した。
「派手な花はパス。ナースセンターの入口に飾る花を頼む」
「ほぉ。ナースに贈るのか」
「違う、ナースセンターに置くんだ。誰か特定の人にって訳じゃねぇ」
店内に並べられたミニブーケはひとつ五百円だった。そのうちのどれかをふたつ買い、ナースセンターの入口に飾れば……と思っていたが、店長自らがブーケを作り始めた。
「今は温室栽培で年中多くの花があるが、季節の花がいいだろう。血の色を思わせる赤は止めておこう」
「あぁ。あ、黄色も抜きで」
「……解った」
昨日は大きな花束だったが、今朝はレースのような薄い白のペーパーで包まれた小さなふたつのブーケが作られた。
「アウトレット品だが花瓶をサービスしよう。これで直ぐに飾ることができる」
「え、マジで?」
「その代り、毎日とは言わないが枯れる前に新しい花を買いに来い」
「ゲッ!」
「常連客ができて嬉しいよ、柴ワンコ先生」
フッと店長が笑った。今朝も綺麗な七三分けの長髪は後ろで全て束ねられているが、左側の前髪は鼻の辺りまで垂れていて煩そうだ。縁無し眼鏡の奥で細められた目にからかいの光が潜んでいた。
「何でお前まで知ってんだよ、柴ワンコって」
「昨日の閉店前、いつもより多くの客が来た。『柴ワンコがあんな花束買ってくるなんて意外!』『さくらちゃん良いわねぇ。十歳でもう男からあんな大きな花束を誕生日に貰うなんて! 私なんかもうすぐ三十になるけど一度も贈られたことないわよ』そんな話をしていた客の殆どが『淡いピンクの花メインで真ん中に白いバラを入れた花束』という注文だった。随分と儲けさせて貰ったぞ」
柴はまた頭をポンポンと叩かれた。ワンコ扱いだ。身長差を思い知らされるようで悔しい。
「またポンポンしやがって! って、もしかして俺が花買ったお蔭で昨日の売上が伸びた?」
「お前が二割。私の腕の良さが八割といったところかな」
「うわ! 自画自賛!」
「七時半から二十三時まで店を開けている。二階に住んでいるから店が閉まっていても裏のインターホンを鳴らして貰えればいつでも出る。不在の時以外は対応してやろう」
店長はそういうと名刺をポケットから取り出して差し出してきた。
フラワーショップSHIKI 店長 千条 志貴(せんじょう しき)という名前と、店の電話番号、ファックス番号、ホームページアドレスが記載されていた。
「店の名前、てっきり『四季』だと思ってた。お前の下の名前だったんだ。それにしても洒落た名刺だなぁ。千代紙みてぇな模様が淡い色で背景に入ってるし、これ、手漉きの和紙? 俺のなんて顔写真は入ってるけどシンプルな名刺だぜ?」
交換、というように自分の名刺をポケットから取り出して渡すと柴は花瓶とミニブーケが入った紙袋を受け取った。
「しょーがねぇから明日の朝も来てやる。ちっちぇブーケふたつよろしくな」
じゃ、と手を振ってから柴は花屋を後にした。
西館の医師控室に寄って荷物を置き、紙袋を手に本館九階のナースセンターへ向かった。
「よぉ。ちょっと早いけど回診よろしく」
そう言いながら紙袋を差し出した。看護師長がサッと出て来てそれを受け取る。
「あら、まぁ! 可愛いブーケねぇ。花瓶までセット? 気が利くわね」
「花瓶は店長のサービス。花が枯れる前に新しいのを買いに来いって言われちまった」
「通えってこと?」
「なんだかカモにされた感じ。まぁ、大した金額じゃねぇんだけど」
「へぇぇぇぇ」
看護師長がニッと笑った。新人看護師に花を飾るよう指示した看護師長に腕を掴まれ、柴はドアの陰に引っ張り込まれた。
「大事なことを教えてあげるわ」
「あ?」
「あの花屋の店長、年下の可愛い男の子好きよ。病院を辞める前に付き合ってた医学生は泣きぼくろがある可愛いコだったわ。貴方もほら、左目の下にほくろあるでしょ!」
「へ?」
「店長は五年前までこの病院の外科に居たの。院長お気に入りの凄腕イケメン医師だったのよ。ゲイなのも有名でね。看護師泣かせの罪なオトコだったわ。そうと知りながら誕生日プレゼントにスイスの高級時計を買ってアタックして見事に玉砕したツワモノも居たわねぇ。あ、店長の誕生日は十二月十二日。覚えやすいでしょう?」
看護師長はそう言うと柴の背中をバシバシと叩いた。
「そういう訳だからホドホドに。さぁ、今日も一日、頑張りましょう!」
看護師長はさっさとナースセンターに入ると看護師達に声を掛けながら仕事を始めた。
「……へぇ? 人は見た目に寄らないって?」
柴は目を瞬きながら呟いた。
廊下を行き交う看護師や医師、入院患者達がナースセンター入口に飾られた青をベースとしたミニブーケに目を止め、和やかな会話を交わしている。
「ルックスも良いし、花を扱う手際も良いし、センスも良い。それに加えて元医師。院長にまで気に入られてた凄腕外科医が同性愛者とはね」
看護師泣かせとは良く言ったものだ、と笑った後で柴は歩き出した。今日の回診担当の看護師が出て来たのだ。
「性格がなぁ……。あの嫌味がなけりゃ、タイプってトコだったけどな。あ、背が無駄に高いのもムカツク」
「? 何がムカツクんですか?」
「あ、いや。こっちの話。大部屋の逃走魔ケンジの今日の予定は?」
「それが昨日逃げ回られてできなかった心電図測定検査が午前中にあって……」
看護師がカルテを見ながら話すのを聞きながら柴はポケットに手を突っ込み、廊下を進む。
指先に当たった名刺を何気なく取り出してみると裏側に何か書かれているのに気付いた。
「ケータイ番号と柴ワンコの絵……」
柴の歩みが止まった。
「柴先生?」
振り返った看護師が名刺に気付いた。
「まさか携帯の番号? だ、誰の名刺ですか! それ! 抜け駆けしたの、誰!」
「抜け駆け?」
柴の問いにしまった、と口を抑えた看護師だったが時既に遅しだ。
「そ、それが……。今度、先生が休みの日に合コンを設定して招待しようって話を皆でしてたんです。その席で皆で一斉に告白して誰が選ばれるか勝負しようって……」
「へぇ? 俺ってそんなに人気あるんだ?」
「だって滅多に居ないんですから! 患者さんに人気があって、私達にも優しくて偉ぶらないイケメン先生って! 皆、本気です! この仕事って時間も機会も無いから皆必死なんです。私だって本気で……」
真正面から目を見据えられると流石に辛い。柴は名刺をポケットに仕舞いながらジリジリと後退りした。
「あ、あの、悪いんだけど……」
「先生の次のお休みいつですか! 嘘言っても駄目です! シフト確認しますから!」
「いや、その前に……」
「その前に何です?」
「井上君、サンダルが……」
「え?」
「片方、休憩室用?」
「ウソ! やだ! 先生、見なかったことにして!」
何故かその場でサンダル両方を脱いで走って行く後ろ姿を見ながら柴は苦笑した。
「どうすっかなぁ……。俺、女の子ダメなんだよねぇ。スーツを着ない年上男専門なんだ」
小声で言った柴は戻って来た看護師には何も告げず、回診を始めた。
この日から朝の花屋通いが柴の日課となり、また飾り終えた花の奪い合いが看護師達の間で始まった。だが、その花に黄色が含まれていないことに気付く看護師は居なかった。
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