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第5話
雨の朝だった。
十一月にもなると冬の足音が聞こえて来る。今日の雨はそれを強く感じさせるものだった。来る途中に買ったコーヒーも紙袋の中ですっかり冷えてしまっているに違いない。
身を縮め、肩を震わせながらお決まりの花屋の前で傘を畳んだ柴は店内へ駆け込んだ。
アルバイトの男性店員がいらっしゃいませ、と声を掛けてきたが近付いて来ない。柴が店長の客だと知っているのだ。
「あぁ、寒っ! 花束ふたつ」
「黄色い花抜き、だな」
「あぁ」
必ず毎朝来店するのだから前もって作っておけば良いのに店長は必ず注文を受けてからブーケを作る。
「なぁ、何で用意しておかねぇの?」
「お前が来なかったらどうする?」
「なんだよ。もう一か月近く毎日通ってるだろ? 俺、信用されてねぇ? それに俺が来なくても花束は他の客に売れるだろ? 腐るもんじゃねぇんだ」
柴の言葉に店長は手を止めた。
「私は客を見て花を選ぶ。客の向こうに見える渡す相手も見ている。その日の天候、気温、客の雰囲気、表情など常に変化するもの全てが花を選ぶ基準となる。注文を受けて作った花束はその客の為だけに設えられたものだ。お前の注文を受けて作った花束はお前にしか売ることができない」
花屋のプライド、信念というものだろう。店長の言葉に柴は口を噤み、軽く頭を下げた。
「悪い。俺、軽率なこと言った」
「気にするな。医師に人を助けたい、という想いがあるのと同じだ。花屋にも花や客に対する想いというものがある」
「そっか……。じゃ、あれは?」
柴は既に作られた花束やアレンジメントを指さした。さっき悪いと謝ったばかりなのに重箱の隅を突くような指摘をする辺りが柴らしいと言えば柴らしい。
「あれはアルバイトの練習だ。あれでもいい、と感じた客が自らの意志で買っていく。それは止めない」
客自らが選ぶのだから悪いことではない。売れる物なら売ってしまう方が良いに決まっている。
「そっか。なぁ、花屋って儲かる? こんだけの花を毎日揃えるのって大変だろ? 切り花って長く持つもんじゃねぇし、全部売り切る訳じゃないんだし?」
素朴な疑問だった。柴の言葉に店長は店の外を顎で示した。その先には病院があった。
「病院に出入りしている葬儀屋と契約している」
「……そ、それは、それは……」
シュールな話だが花が必要とされるのは晴れの舞台だけはない。
「今では家族葬や密葬といった小規模な葬儀が増えたし、社葬も大規模なものが減ってきているから以前ほどではないが、そっちの方が儲かるのは確かだ」
淡々と話す店長に返す言葉が見付からず、柴は無言でブーケが出来上がるのを待った。
今日のブーケは虹を思わせる配色だった。
虹は雨上がりに出る。雨も悪く無い、雨上がりが楽しみ、とでも言うような花束だった。ただし、黄色の花は含まれていない。それを受け取りながら柴は一万円札を店長に渡した。
「これは?」
「予約。明後日の朝、花束をひとつ予約したい」
「……随分と大きな花束だな。目的は? どういったイメージで作ればいい?」
店長の言葉に柴は静かな声で答えた。
「兄貴の墓前に飾る花だ。黄色い花だけで作ってくれ」
「黄色の花だけ?」
「あぁ、黄色だけ。本当は兄貴が大好きだったヒマワリだけで作って欲しいけど、昨年も一昨年も行った花屋全てで断られた。まぁ、もう十一月だもんなぁ。ヒマワリって無理があるよな。だから何でもいいから黄色の花で大きな花束を作ってくれ。墓の前がパッと明るくなるような奴を頼む」
「……解った」
毎日、頭をポンポン叩かれ「ポンポンするなよ!」と言い返すのだが、今朝はそれが無かった。場がしんみりしたからだろう。外は寒い。その寒さが今日は一段と強く身に染みる。
「兄貴。今年もこの時期になったぜ。いつも寒いんだよなぁ……すっげぇ、寒い」
雪でも降り出しそうな空を見上げた後、柴は目元を手で拭ってから病院に入り、お決まりのナースセンターを目指した。
本館九階でエレベーターが止まり、扉が開いた瞬間、柴はギョッとして足を止めた。エレベーターから降りずに扉が閉まるのを待とうか、と思ったほどだ。ナースセンターの入口に看護師達が集結していて、こちらを凝視していた。
「お、おはよう。どうしたんだ?」
ミニブーケを差し出しながら尋ねると集まっていた看護師達が一斉に喋り始めた。
「先生の次の休みは?」
「彼女は居るの?」
「タイプはどんな人?」
「いつも花をくれるけど、誰か目当ての人が居るの?」
「結婚願望ありますか?」
「看護師の彼女ってアリ?」
看護師長が止めるのも聞かず、皆、真剣な表情で質問してくる。
「あ、あの……合コンの話ってホントだった?」
「そうなんです! だから!」
柴は看護師長に助けを求めるように視線を送ったが無駄だった。若い看護師達の牙は着実に近付いて来る。
「えっと……その、あぁ……そのぉ」
参ったなぁ、と頭の後ろを掻いた後、柴は意を決して言った。
「悪い。俺、女の子ダメなんだ」
ヘヘヘ、と柴は笑った。
余りに軽く言われたからだろう。看護師達がその言葉の意味を理解するのには時間が掛かった。
「解った? だから合コンはパス」
ゴメン、と言った柴は次の瞬間、黄色い悲鳴に囲まれてしまった。
「いやぁ!」
「こんなにイイ男なのに!」
「嘘でしょ!」
看護師達の視線が柴の顔に集まる。それが花に移動した。そして顔に戻る。
「もしかして」
「ま、毎日、花屋に通っているのって」
「う、噂の元外科医店長と」
「きゃぁぁぁぁ!」
看護師達が全員ナースセンターに駆け込んだ。そして何やら興奮気味に話し始めた。突然手に入った情報と逞しい想像力で彼女達のボルテージはあっという間に最高潮に達した。
「か、看護師長……」
「いいわ。今朝は私が回診に行く」
「頼む。あ、あの、それから、俺……」
「店長とは何もない、って言いたいの?」
「俺はただの客デス」
「そう。でも、多分、それは信じて貰えないわねぇ」
「……頭痛がする」
柴は溜息を吐きながら回診し、さくらちゃんの強烈なボディブローでよろけながら外来診察を担当し、その忙しさにノックアウトされるという一日を過ごすはめになった。
「俺、なんでこんな目に遭うんだろう」
そんな呟きに慰めの言葉など向けられる訳もなく、冷たい雨に濡れて始まった柴の一日は、同じように雨に濡れて終わった。
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