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第6話

 兄の命日の朝――。  幸い、雨はあがり、青空が広がっていた。まだ濡れている通りを歩いて柴は花屋に向かった。  時間はいつもと同じだ。  店に入ると店長が出迎えてくれた。奥のカウンターに黄色い大きな花束が見えた。 「もうできてる?」 「もう少し。お前の顔を見てから仕上げようと思って待っていた」 「そっか。じゃ、待ってる」  カウンターの向こう側に立つ店長を見た柴は「あっ」と小さく驚きの声を上げた。それもそのはず。店長が柴の為に準備していた花束は正しくヒマワリのみで作られていたのだ。 「そ、それ……ヒマワリ?」 「ヒマワリ以外、何に見える?」  柴はその場に立ち尽くした。  夏を忘れ、厚手のコートを準備しようか、と思うこの寒い季節に不釣り合いな太陽の花が束になっていた。  昨年も一昨年も、これまで一度として命日に準備できなかった思い出の花がそこにあった。本物を目の当たりにしても柴は暫くの間それが現実だと思えず言葉もなく、ただ、見詰めることしかできなかった。  「ま、マジで?」  やっとの思いで店長に視線を向けると、店長は事もなげに返事を寄越した。 「そういう希望だっただろう? 売り物になるようなサイズの発色が良いヒマワリを短期間でまとまった本数揃えるのは難しかったが何とか準備できた。普通の花屋なら断るだろうな。まぁ、常連客の柴ワンコ先生の頼みだし、私の仕入れルートを使えばこのくらいは、な」  淡々と言った店長は柴の顔を見てから包装紙を選び、黒いリボンを付けた。 「どうだ?」  受け取った柴は腕に感じる重みに目を閉じた。 「すっげぇ、重い」 「切り花用に改良されているがヒマワリはヒマワリだし、一万円分だからな。重いのも当然だ」 「サンキュー。……ありがとう」  柴は礼もそこそこに店を出た。泣き顔を見られるのが恥ずかしかったのだ。  大通りに出て涙を拭いてからタクシーを拾い、兄が眠る墓に向かった。  墓は車で約二十分程度の山の中腹にある霊園の一番奥だった。  霊園の入口で清掃道具を借りて兄の墓に向かうと、柴は無言で掃除を始めた。  定期的に誰かが墓参りに来ているのだろう。掃除は簡単に済んだ。線香に火をつけ、花束を持って墓前で両手を合わせた。 「兄貴、今年も来たぜ」  柴は墓前に向かって話し始めた。 「今年はよぉ、兄貴が好きなヒマワリの花を持って来られた。昨年も一昨年も断られたんだけど、今年花を頼んだ花屋は俺の希望を叶えてくれた。……兄貴が病気になる前の夏、家族旅行で行ったヒマワリ畑、凄かったよな。百万本のヒマワリが全部、太陽に向かって咲いてたよな。畑ばっかりで他に何もなくて暑くて死にそうで俺も兄貴もアイスを何本も食ったんだよな。お袋にメチャクチャ怒られた。後で俺だけ腹壊したの覚えてるか? あの時のヒマワリには負けるけど、ヒマワリ持って来た」  答える者は居ないが、柴の目には兄の笑顔が見えた。 「聞いてくれよ、兄貴。俺、今、新城北総合病院の小児科に勤めてんだけどさ。病院前にある花屋の店長にはめられて、毎日花を買わされてんだ。朝、顔を合わせる度に必ず嫌味とか皮肉言われて、その上、頭ポンポン撫でられるんだ。柴ワンコなんて呼ばれてんだ。酷いと思わねぇか? 俺、会う人皆に弄られるんだよ。俺ってそんなに子供?」  ヒマワリの花束を置き、柴は言葉を続けた。 「でも、その店長がこの花束作ってくれた。めちゃくちゃ背が高くてなんかムカツク店長なんだけど、初めて俺の願い通りの花束を作ってくれた店長なんだ」  ふと、花の中に何かが挟まっているのが見えた。メッセージカードだった。太陽とヒマワリが描かれた水色のカードには「兄貴へ」とだけ、手書きで書かれていた。 「……頼んでもねぇのに気利かせやがって」  柴は堪え切れなくて声を殺して泣いた。  兄の命日は辛い。でも今年の命日は嬉しくもあった。店長の心遣いが堪らなかった。  一見すると冷たい性格に見える、皮肉や人を馬鹿にする言葉をしばしば口にする、憎たらしいくらい背が高い店長だ。  だが、その大人の気遣いや目に見えない小さな優しさはこういう時には卑怯だと感じるくらいひしひしと伝わってくる。 「なぁ、兄貴……俺の悪いクセが出ちまいそうだ」  暫く泣いてから柴は涙をぬぐい、墓前でヘヘヘと照れ臭そうに笑った。 「ムカツク店長に、俺、惚れちまいそう……」  昨年も一昨年も近況報告だけで直ぐに済んだ墓参りだったが、今年は話したいことが山ほどあった。だが、柴は人の気配を感じて立ち上がった。 「……オヤジ」  スーツ姿で仏花と手桶を持った男性が離れた所に立っていた。随分と長く口をきいていない父親だった。  柴は手早く掃除道具を手に持つと、何も言わずにスッと横を通り過ぎて墓地を後にした。  墓参りという今日の予定を終えた柴はタクシーで病院近くまで戻るといつも朝食を買っているお気に入りのコーヒーショップに入り、軽食をとった。今日は一日休みだが、この後の予定は特にない。 「礼でも言いに行くか」  珍しく気が利いた柴は美味いと評判のスコーンとブレンドコーヒーを二人分買って花屋へ向かった。  時刻は十一時近くだ。店には客の姿がちらほらと見えた。 「いらっしゃいませ。あ、先生。店長!」  明るい声のアルバイト店員が出迎えてくれた。彼女は直ぐに店の奥へ声を掛けた。ほどなく店長が顔を出した。 「済んだのか?」 「お蔭さまで無事に。これ、礼」  コーヒーショップの紙袋を見せると店長は奥を指さした。  奥には店内から見えない部屋があった。ワンルームマンションの一室のような、狭いキッチン付きの部屋だ。テレビと二人掛けソファ、テーブルとスタッキング可能な椅子が二脚あった。壁は天井まである作り付けの棚になっていて伝票や帳簿などが片付けられている。棚の一角がデスクになっていて、パソコンが置かれていた。事務作業をする部屋らしかった。 「お邪魔します」  一応、挨拶をしてから柴は靴を脱いだ。テーブルに紙袋を置き、椅子に腰を下ろす。  向かい側に店長が座った。緑のエプロンを外している。 「お蔭で今年は凄ぇイイ墓参りができた」 「そうか。それは何よりだ」 「兄貴も喜んでくれたんじゃねぇかな? ヒマワリは思い出の花だから」 「そうか」  店長は言葉少なかった。無駄なことは言わないが、喋ることを止める雰囲気ではない。柴が紙袋から出したコーヒーを受け取り、ブラックのまま口を付けていた。 「兄貴、高校一年の十一月に病気で倒れたんだ。心臓疾患『右脚ブロック』だった。始めはペースメーカーさえ入れておけばいい、ってことで深刻に考えなかったんだけどさ。年齢を重ねるごとに良くなるどころか症状が進んだ。左脚前枝ブロック併発で、その後、完全房室ブロック。それで……」 「突然死、か?」 「あぁ。兄貴が高一の夏にお袋と兄貴と俺、三人で行った旅行が最後の家族旅行になった。旅行先で見た百万本のヒマワリが忘れられねぇんだ。兄貴が入院していた病院の中庭にもヒマワリが植わってた。病気治して必ず皆で百万本のヒマワリ見に行こうって言ってたのになぁ。兄貴、三十五歳だった」  柴は目を閉じた。目頭が熱くなってくる。 「兄貴の病気が解った時、俺、約束したんだ。医者になって兄貴の病気を治してやるって。オヤジは弁護士だ。兄貴が病気になったから俺が継ぐべきだったんだろうけど俺は医者になることを選んだ。俺はオヤジがキライだった。弁護士もキライだった。スーツ見るだけで腹が立つ。だって運動会も音楽会も授業参観も一度だって参加してくれなかったんだぜ? みんなが父親と楽しく親子行事に参加してる時、俺の隣にオヤジは居ない。中学生の兄貴がオヤジの代わりに参加してくれたことがあった。保護者の涙を誘ったよ。弁護士ってスーツ着て偉そうに『人を助ける』なんて言ってるけど、兄貴が入院した日も検査の日も手術の日もオヤジは病院に来なかった。『クライアントが』っていうのが口癖だった。それが理解できない訳じゃないけどキライだった」  今日は感傷的な日なのかもしれない。人に話したことが無い過去の話が口をついて出て来る。店長は何も言わずに聞いてくれた。 「俺、とにかく早く経験豊富な医者になりたくて救命救急で研修医やったんだ。顰蹙かうかもしれねぇけど、救命救急には重篤な症状の患者が毎日運ばれてくる。普通の病院じゃ診られねぇ症例だって診られる。経験を積みたくて毎日必死だった。でもな、兄貴の為に医師になった癖に、俺、兄貴が死んだ日、兄貴の所へ行けなかったんだ。交通事故で心肺停止状態の三次の患者が入ってたんだ。お袋から携帯にも病院にも電話があったのに全然気付かなくて……。兄貴に会ったのは通夜の日だった。兄貴助けるどころかキライだったオヤジと一緒だったんだよ、俺」  情けない話だ。  コーヒーが入った紙コップを持ったまま柴は一度口を閉じた。店長は何も言わずに向かい側に座っている。 「それで俺、救命救急辞めたんだ。引っ越してちっちゃな診療所勤務医になった。そうすりゃ余程のことが無い限り休みが取れるし、兄貴の命日に墓参りができる。昨年も一昨年も墓参りに行けた」 「……何故、総合病院に転属した?」 「それがさ、診療所の所長のジイさんが勝手に診療所閉めるなんて言いやがってさ! 俺が継いでやるって言ったのに、勝手に総合病院に転属する手配しやがったんだ。吃驚したぜ。ま、小児科だったから受けた」 「そうだったのか」 「そう。俺、こう見えてちょっと重たいモン背負ってるだろ?」 「……そうだな」  静かに頷く店長を見てヘヘ、と笑顔を作ったが、次の瞬間、柴は眉間にシワを寄せた。いつものポンポンをやられたのだ。 「なんだよ! またワンコ扱いか!」 「いや、今のは子供扱いだ。コーヒー、ブラックで飲めないのか? 角砂糖いくつだ?」 「二つ。それからミルクも。って、おい! 誰が子供だ!」 「……最初からカフェオレでも買ってくればいいだろうに」 「そ、それを言うな!」  砂糖と牛乳を出してくれた店長に礼を言い、柴は角砂糖をコーヒーに入れた。 「しまった。冷めちまってて砂糖がなかなか溶けねぇや」 「シロップは無いぞ」 「もういい。牛乳入れて飲む。ってか、ガキ扱いすんなって! 少しは慰めろよ。色々思い出して俺、今、辛いんだから」  頬を膨らませて言うと店長が眼鏡を外した。 「?」  きょとんとした表情で柴が座っていると、店長は何も言わずに近付いて来た。そしてそのまま唇が重なった。 「……」  優しいキスだった。  しばらく唇を触れ合わせただけのキスの後、店長はわずかに顔を離した。 「拒否しないんだな」 「ま、ね。俺、スーツを着ない年上男専門なんだ。ゲイってこともあって親と疎遠なんだよ」 「そうか。それは都合がいい。言葉通り、慰めるだけでいいなら私にもできる」  頬を撫でられた。  再び唇が重ねられた。今度は息が詰まるような情熱的なキスだった。 「久し振り……」  柴は照れ臭そうに笑うと全身の力を抜いた。

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