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第6話

 福田と出会って半年になる。  背を向けて身支度する高い背の、少し柔らかな黒髪が、肩に掛かるほど伸びていた。 「来週末から本業に戻るよ」 「え?」 「クライアントに応じて、海外で仕事することになる。元々そういう生活なんだ、今の職はちょっと、息抜きというかね」 「息抜き……」 「そろそろ真面目に働かないとな。いろいろ忘れそうだ」 「会えなくなる、ってことですか?」 「うん、しばらくバタバタするから、今日で最後だ。ごめん」 「……いいですよ。じゃあまた、戻ってきたら遊んでください」  ずいぶん素っ気ないもんだなと、少しがっかりした。愛はなくとも情はあるひとだと勝手に思い込んでいた。  久しぶりのセックスを終えた翌日、いつものように先に支度を始めた福田を、木野はベッドに座って見上げていた。 「番号そのままにしときますから、帰ってきたら電話くださいよ、息抜き付き合いますよ」 「いや、今のところ日本に戻る予定がないんだ、まだ白紙だけど。どうするかは引退してから考えるよ。まああと二十年くらいは頑張りたいな、体は丈夫なんだ」  二十年?  木野は俄かに放心した。ホテルの簡素な鏡台に立つラフなコートの長身は、今にも立ち去りそうな風情でポケットの中身を確認していた。 「えっ、じゃあ、休暇、休暇取ったら電話ください、戻ってこられないなら、ぼくが」  言葉の続きが喉で詰まった。木野はよくやく気づいた。  ————捨てられたんだ、ぼくは。 「休暇は向こうで潰すよ。というか、あんまり休暇はいらないかな。余計なことを考えるから、暇な時間は好きじゃないんだ」  支度を終えて振り向いた福田は、放心している視線の前で、困ったように笑った。 「やっぱり、親しくなるべきじゃなかったな。ごめん。オレはちょっと、失礼な男なんだ。大概の相手にそう言われるから、そうなんだと思う」  なにを言っているのかわからない。言葉が耳に入ってこない。 「……日本に戻る理由、とか、ないんですか?」 「うん、いまのところ」  ふざけるな。  そんなに、優しい目で笑うな。  そんな目で、柔らかな眼差しで、ぼくを捨てて、笑うな。 「……義理のセックスに、疲れたんでしょ。……ハハ、ぼくから、逃げたくなった?」 「そうじゃないよ」  福田は男らしい眉を弱ったふうに下げてみせた。  木野の心は支えもなく、割れていた。 「ぼくじゃあ、暇つぶしにも、息抜きにも、ならなかったんだな」 「逆だ。今までクライアントの厚意に甘えすぎてたんだよ。休暇が長引き過ぎたんだ。いいかげん戻らないと」 「休暇? これ休暇ですか? 休暇は、いらないんじゃないの?」 「……もういらない。いらなくなった。オレにはもう必要ない」 「なんだそれ」  木野は鼻で笑った。  おまえはいらない。そう告げていることに福田は全く気づいていない。  最初から、福田は全く、一度も、木野の姿を心に入れることがなかった。 「いいですよ。じゃあ最後にしますから、餞別くださいよ。抱かせてください」  壊れた胸が震えて止まらず、木野は笑った。頭が真っ白になっていた。  ずっと我慢していた。こんなふうに捨てられるなら、さっさと襲って殴られでもして、潔く決別したほうがましだった。  女々しすぎる。————最悪だ。  ベッドを軋ませて降り、木野は福田のコートを引いた。ぐちゃぐちゃのベッドに引きずり、木野くん、と頭上で揺れた声に瞼が滲んだ。  好きだったんだ。好きだった。本気で好きだったんだ。  ずっと福田に救われていた。————憧れた。  力任せで揉み合い、縺れ、先に倒れたのは木野だった。 「ズルいですって!」 「ああ、ごめん」  腕力も背丈も、体格でも年齢でも、経験でも魅力でも何一つ、福田に勝てない。  木野は非力でヒョロヒョロだった。福田を引き止める力もなく、いつだって何も出来ず、仕事も恋も惨めで無様で情けない、福田には到底見合わない、箸にも棒にもかからない、生きていたってなんの価値もない消しクズみたいな人間だった。  一目惚れだった。  今も福田の周りだけ、世界が眩しく光って見える。キラキラ輝く、木野の憧憬の全てが福田の中にあった。  ————捨てられて、堪るか!  なりふり構わずしがみつき、木野は暴れた。大きな背丈をひっくり返そうと躍起になり、長い腕で抑え込まれ、真っ赤な顔で福田を揺さぶり、木野は叫んだ。 「やらせろよ……!」 「それは……ごめん、勘弁して」  身勝手だ!  詰ってやろうと開けた口を掴まれた。  額とこめかみに落ちた、乾いた感触に息を飲んだ。 「……悪かった。可愛いと、思ったんだ……ごめん」 「————ズルいでしょうが……っ、それはっ!」  福田の吐息で熱が灯った。温かなそれに視界が滲んで、木野は歯を食いしばった。 「ぼくだって、二七の、男だ……っ、可愛いで、黙ってられるかよ……!」  二十年なんて待てない。福田のようにかっこよく歳をとる自信なんてない。福田に相手をしてもらえるなんて今しかないのだ。だいたい二十年も経ったら、この人は七十近い老人だ。  ————卑怯だ!  広い背に腕を回し、離すもんかと引き毟った。 「コートっ、脱いでください!」  ぼくだけ裸!  ずっ、と鼻を啜った木野の理不尽な要求に、福田は崩れたコートの肘をつき、困った目尻を優しく緩めて、嗚咽の口にキスしてくれた。

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