5 / 64

第5話

 傘もささずにいたのか彼の足元には水たまりが出来るほどに雫が滴り、彼は相変わらず無表情のまま、黄金色の髪からぱたぱたと水滴を垂らして佇んでいた。私は何度も安堵の息を吐き、強く鼓動する心臓を鎮めるのに必死になった。確かに顔見知りではあるけれど、こんな風に突然押し入られては彼だって不審者と何ら変わりない。しかし彼は事のあらましを説明もせず、突然の出来事に混乱する私を他所に、勝手に靴を脱ぐと濡れた身体のまま我が物顔で部屋の奥へと進んだ。 「待ちなさい、久留須くん。どうしてここに………」  私も慌てて靴を脱ぎ、リビングへ向かう彼の後を追う。互いから滴る雫が、蛞蝓の這った痕みたいにスローリングを濡らした。そしてリビングの真ん中で立ち尽くす彼の男らしく分厚い腕をとり、改めて問いかけた。 「あなたは、何をしにここへ来たのですか」  訊ねれば彼はやっと私の瞳を覗き込み、小さく口を開いた。 「ああ、さあ、分からない。ただ、歩いてたらあんたの姿が見えたから」  そこから彼は口を閉ざし、私の手を振り払うこともなく呆然と突っ立っていた。彼の態度に、私は余計に途方に暮れるほかない。私の歩く姿が見えたから勝手に家に押し入るだなんて、そんなの理由になり得るだろうか、なるはずもない。彼の理屈はあまりに理解しがたいものだった。しかし悪びれる素振りも困っている様子も見受けられず、当たり前のように私の目の前に静かに佇んでいた。さもそれが当然だと言いたげに。 「本当に、それだけの理由で来たんですか。例えば私に、何か用があるとか」 「用なんて別に、何もない」  そうですか、としか答えられず、念のためもう一度同じ質問を投げかけ、そして彼もまた同じ返事をした。どれだけ続けてもこの攻防に果てはない。やはり今日の私はついていなかったのだ。彼の腕をとっていた手を放し、代わりに自らの頭を抱えた。しかし状況は何も好転しない。 「とにかく、何か拭くものを持ってきます。風邪をひかれても困りますから」  こういった場合、正しい対処法など存在するのだろうか。腰を据えて話しをしたところで正しい解決に向かいそうにもないけれど、この意味不明な膠着状態から脱する為には何もしないわけにはいかない。  タオルを取りに脱衣所へ向かう途中、背後でばしゃりと水の跳ねる音がして振り返れば、彼は着ていたフード付きのパーカーを脱ぎ、存分に水分を滴らせながらそれを床に放り出しているところだった。  それを咎めるより先に、コンビニで出会ったあの夕暮れを思い出した。黄金色に輝く短髪と、美しい筋肉に彩られた肉体。黄昏は雨粒へと変わり、私の目の前で飾り立てられ、眩しいくらいに輝いて思わず目を細める。彼は誰だ、と自身に訊ねる。またいちから、彼を初めて知った日を思い出し、その正体をきちんと確かめ、そしてたちまち安堵する。

ともだちにシェアしよう!