26 / 64

第26話

「このままベッドへ行きたい」  私を抱き締めながら彼がそんなことを言うものだから、密着した肌が熱くて、身体が疼いて疼いて仕方がない。私も、と返事をしてしまいそうになるのを寸でのところでどうにか堪えた。 「セックスが最高なのはわかってるから、それ以外のこともしたい」  方便を述べたつもりはまるでない。たった一晩ではあるけれど、彼とのセックスはこの上ないほど上質なものだった。だからきっと、それ以外の部分でも、彼と過ごす時間はとびきり素晴らしいものとなるに違いないのだ。  彼は薄く照れ笑いを浮かべると、そうだね、と快く受け入れてくれた。 「夕食は? 食べました?」 「いや、雛菊が作ってくれると思ったから食べてない」  何それ、と私は笑う。私が料理のできない人間だったらどうするつもりだったのだろうか。コンビニで済ませるよ、と彼は言うだろう。ものが何だって、一緒に食べることに意義があるのだから、と。私はそれを易々と想像できた。何故なら彼は、私を悦ばせる天才なのだ。  キッチンに立ち冷蔵庫を覗いていると、その後ろに彼がぴたりと張り付いた。 「なに?」 「何か手伝うことある?」  彼の言葉に目を丸くしてみせる。 「料理できるの?」 「いや、まったく。したこともない。いつもコンビニで済ませてる」  不健康、と彼をなじる。 「家族とは離れて暮らしているの? ひとり暮らし?」  高校生と言えど二十歳、二十歳と言えど高校生。どちらの可能性も大いにあった。  彼は束の間口ごもり、逡巡するように視線を右から左へ滑らせると、ひとり暮らし、と答えた。そうですか、と私は短く返した。深く訊かないことで弁えのある思慮深い大人を演じたつもりだった。 「今のところ手伝うことはないので、テレビでも見て休んでいて下さい」 「そう、じゃあ、何かあったら呼んで」  彼がソファに腰かけ、テレビを点けるまでを見守る。チャンネルは以前と同じようにニュース番組にしぼられた。  見かけに寄らず、彼は本当に聞き分けがよくとても優しい。こんなに素敵な人だと周囲に触れ回るつもりは一切ないが(むしろそれを知っているのは私だけであって欲しかった)しかしこの外見の所為で彼が他人から勝手な言いがかりをつけられてしまったり、理不尽な面倒事に巻き込まれたりしないかと一抹の不安も抱き始めているのも確かだった。それは今朝、皆元が不用意に零し続けたあの話の内容が頭の片隅に残っているからで、本当にそれが単なる「噂」に過ぎないのであればそれに越したことはないけれど、その全貌を把握できていない私には何も判断できず、ただただ小さな不安を抱えるよりほかになかった。得体の知れない不安を払拭してしまいたくて、私は黙って食材に向かった。

ともだちにシェアしよう!