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第37話
「クソッ」
彼はまた舌打ちをして、私の服を乱暴に破いて剥ぎ取った。私は恐怖に冒され抵抗はおろか身動きひとつ出来ないでいる。
動いてしまえば、殺される気がした。彼はそのまま私を抱いた。私は空っぽで、とても大切なものが彼の手によって壊されていくのを肌で感じていた。彼は何度も私を貫いて白濁を散らし、私は尚も空っぽのまま、行為が終わるのをただひたすらに待ち続けた。今行われていることは、謂わば強姦と言っても差し支えのないものだろう。だけど彼は泣いていた。泣きたいのは私の方なのに、彼は寂しそうに、固く結ばれた唇の隙間から声を漏らして泣いていた。私の中から、ずるりと彼のものが抜け落ちると、彼は私の胸に顔を埋めて声を殺して泣いていた。私の胸に広がる温かな水滴は、外気に晒されてすぐさま冷たくなった。私は今だ、身動きひとつできないでいる。彼を責めることも慰めることも許すことも出来ず、故意に思考を白く固めたまま、静かに呼吸だけを繰り返した。
しばらくしてから彼はおもむろに起き上がると、私のすぐそばに突き立てられたナイフ(やっぱりナイフだったのか、と心の片隅でいやに冷静にそんなことを考えていた)を引き抜き、それをその手に握り直した。殺されてしまうのだろうか。恐怖は通り越した。これは絶望、いや、覚悟かも知れない。
「雛菊に、話したいことがあって来たんだ…………」
この期に及んで、一体なにを話すというのだろう。
「………話をしたかった」
そして彼はナイフを光らせ、それを振り上げた。目を閉じることさえしなかった。空っぽの人形の振りをしていた。想像する痛みはいつまで経っても襲って来なかった。その代わりに、視界いっぱいに血飛沫が走り胸には熱い血液が滴った。その出所である彼の左腕はぱっくりと裂けて、ぼたぼたと大量の血を流していた。
「雛菊…………」
その腕を、私の身体に押し付けた。生温かく滑ったものが胸に広がり、まるで血を刷り込むように、何度も何度も押し付けた。べちゃり、べちゃりと生々しい音が鼓膜を揺らす。彼は顔を歪めて泣いていた。
「雛菊………っ」
鉄の匂いが充満する。生臭く、ひどい匂いだと思った。
「他の奴の匂いなんか、つけてくるなよ…………」
涙声で弱々しく、彼はそう言った。そして血まみれのパーカーを脱ぐと裸で横たわる私にそれをかぶせて、蒼褪めた顔で私を見つめ唇にキスをした。
「…………………」
彼は最後に何か呟いたけれど、ついに一言も聞き取れず、左腕から血を滴らせたまま彼は家を出ていった。もう彼には会えない、そんな気がした。辺りは血の匂いでいっぱいだった。
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