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第39話
獅子雄さんから連絡がきたのは、土曜の昼前だった。前夜から雛菊の家でぐちゃぐちゃに疲れるまで戯れて、寒々しい寂しさがやっと埋められた頃だった。
雛菊と肌を密着させたベッドの枕元で、聞きなれた着信音が響いた。考えるよりも先に手が動く。電話には出るよう、獅子雄さんにしっかりと「教育」されていた。ふいに雛菊が気になった。しかし長年培われた習慣に、肉体は抗えない。雛菊を尻目に部屋を後にして電話に出た。そうしなければならないと脳が信号を出していた。
電話の内容は実にあっさりしたもので、数日は仕事がないからしばらく休めというものだった。話しがあるとこちらから切り出すと、聞いている暇はないと切られてしまった。いつものことだと諦めた。
雛菊の眠る寝室に戻ると、不機嫌で、不満げで、孤独に打ちのめされた表情の雛菊がいて、それを見るにつけ深い後悔に襲われた。俺が席を外したほんの数分、雛菊はどんな想いで待っていただろうか。こんなにも酷い表情をさせてしまっては、雛菊の欲にも孤独にも充分に応えているとはとても言えない。そんなのは駄目だ。俺が満たしてやらなければ、そうでなければこの底の見えない寂しさを、一体だれが埋めてくれるだろうか。俺が応えてやらなければ、空っぽで歪な形をした魂を、だれが慰めてくれるだろうか。俺の孤独を、雛菊以外のだれがあたためてくれるだろうか。
抱いて欲しい、と珍しく自分から切り出した雛菊に、出来る限り応えた。必死になって、雛菊の限界が来るまで、雛菊の不安と寂しさが消えるまで、紛れるまで。眉根に寄った皺も、目尻に浮かぶ涙も、どれひとつをも取りこぼさぬよう目に焼き付けた。この光景を記憶しなくては。もう二度と、こんな想いをさせてはならない。そうでなければ、きっと俺がここに存在する意味などないのだから。
ぐったりと四肢を弛緩させ寝息を立てる雛菊を見て、やはり無理をさせ過ぎたことを少しだけ後悔した。それでも、束の間でも良いからこの男がただ俺ひとりだけに満たされてくれたのを思うと、じわりと胸があたたまった。
携帯電話の液晶を覗く。画面は真っ暗だ。着信履歴を出す。一度だけ大きく深呼吸をした。液晶をタップし、耳に充てる。いち、に、さん。コール数だけが重なる。いつもどおり七で切った。もう一度、雛菊の顔を見やる。目尻には涙の乾いた痕がある。もう、腹を決めなければならない。
液晶をタップし、重なっていくコールを数える。切る。コールを数える。切る。何度も何度も繰り返した。獅子雄さんは応答しない。それでもコールを重ねた。手のひらには汗が滲み、喉もからからに渇いていた。自然と眉間に力が入り、努めて長く吐く息は弱々しく震えた。恐れているのだ。獅子雄さんに対しても、雛菊に対しても。どちらにも向き合わなければならない現実に、柄にもなく怯んでいるのだ。
少しの間も置かず、八回目の電話をしたときだ。発信してすぐ、一度目のコールも聞かない内に獅子雄さんはついに電話に出た。一刻も早く話がしたかったのは確かで、しかしまさか本当にそんなときが来てしまうとは思っていなかった。間違いなく、どちらも本心だった。
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