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第41話
それは電話で何度も聞いた、と獅子雄さんは眉間に皺を寄せ、テーブルに投げ出されていた煙草の箱を拾い上げると一本咥えて火を点けた。
「俺が駄目だと言えば、おまえは話さないんだろう」
そして大きく息を吸い、紫煙と共に「駄目に決まってる」と呆気なく一蹴された。想定内だった。今までもそう言われてきた。獅子雄さんにそう言われてしまえば、俺はきっと雛菊に対して口を閉ざすだろうことも分かっている。実際に今まで話せなかったのだから。それだから今どうしても、首を縦に振って貰う為にここまで赴いたのだ。
「お願いします」
人に頭を下げるなんてこれまでの人生できっとこれが初めてだ。きっと一生にそう何度もない。しかし、どうしてもこの男の許可がないことには、雛菊に自らを打ち明けられるはずがない。そういう風にできあがってしまっているのだ。
「お願いします」
返事を待たず畳みかけるようにもう一度許しを請う。とにかく一度だけでも首を縦に振って貰わなければならない。名言されずとも、それらしい返事だけでもいいから欲しかった。
どうしてこんなにも雛菊に固執するのか、言葉にしろと言われてもきっとうまくは言えない。しかし雛菊が確かに俺を欲しがったから、たった一瞬でも、気まぐれでも、見せかけだけでも確かに俺を求めた瞬間があったから、俺はその期待に、希望に、欲望に応えてやりたかった。応えられる人間になりたかったのだ。
しばらく前までは、雛菊とは別の男が好きだった。明確な理由を持って好意を抱いていた。それでも手に入らなかった。手に入らなかったからこそ欲しかった。男はちっとも俺を欲しがらないし、こちらが求めても少しも靡いてはくれなかった。だから余計に、やっきになって欲しがった。だけど途中で諦めた。ぱったりと、その感情が鳴りを潜めた。
その男がどんな人物だったのかを分かりやすく説明すれば、今まさに目の前に座るこの男に違いない。好きだと言えば「違うだろう」と返事をされた。それもまだ記憶に新しい。三ヶ月ほど前の話だ。二度想いを告げて、二度とも呆気なく一蹴された。どうしても手に入らなくて諦めた。それを思えば雛菊は、あっという間に手に入った。身も心もすべて欲しがるままに与えたし、俺だって雛菊のすべてを手中に収めることができた。そう信じて疑わなかった。身体も精神も時間も、すべてを手に入れて尚、それでもまだ欲しかった。雛菊の全てが欲しいし、俺を全て丸ごと全て受け入れて欲しい。今までの俺も、今の俺も、余すところなく全てを。
「お願い、獅子雄さん………!」
もう一度深く頭を下げる。強く拳を握り、返事を待った。
「駄目だ」
その返事に心はくしゃりとひしゃげて、一瞬にしてひなびていく。
顔を上げれば、感情のない冷たい視線とぶつかった。図体は俺の方がいくらも大きいのに、この男にはいつも見下ろされているように感じていた。殺し合いをすれば俺の圧勝だろうに、けれど俺はこの男に逆らう術を持っていない。俺の中でこの人は、なくてはならない存在なのだ。
「おまえは、自分がどんな仕事をしているのか理解できていないのか」
「それは………」
「それは、何だ? 俺を納得させられるだけの理由を持っているか」
「……………………」
反論も出来ず、唇を噛み締めて俯いた。あまりの正論に何も言えなかった。この人はいつも、正しいことしか言わない。
「………おまえは昔から、考えが甘い」
呆れの混じった声色、まるで聞き分けのない幼い子供を叱っているようだった。どうやら考えを曲げるつもりはないらしい。しかしそれは俺も同じことで、それならどうすればいいのか。次の策なんてちっとも考えていなかった。
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