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第50話
通された彼の部屋はあまりに素っ気ないものだった。コンクリート打ちっ放しのワンルームは見ようによっては洒落ているとも言えなくはないが、窓もないそこは私からしてみると刑務所のようだった。
彼の部屋には何もなかった。スチール製の安っぽいシングルベッドにハンガーラック、木箱を引っ繰り返しただけのテーブルのようなもの、そして小さな冷蔵庫。本当にここで生活しているのか、それすらも疑わしくなるほどだ。
この部屋は床までもがコンクリートで出来ていて、靴を脱ぐ玄関もなく、土足のままリビングに立っている。彼がベッドを指さしそこに座るよう促され、私はそれに従い腰を落ち着けた。彼は何か遠慮でもしているのだろうか、先程から壁に凭れて立ったままだ。
「………この場所、誰に訊いた?」
「さっき学校に………あの、獅子雄さんが来て」
獅子雄から受け取ったメモを差し出す。長いこと握られて手汗で湿ってくしゃくしゃになっていた。蛇岐は案の定、その名前に過剰なほどの反応を見せ、私はまた苦い気持ちを噛み締める。
「学校に来た? 獅子雄さんがわざわざ?」
「はい、十分ほどで帰られましたが」
「何か言われた?」
私は口ごもる。彼の言う何かとは何なのか、洗いざらいすべて話してしまってもいいものか。しかしそれほど重要な話などしていない気もした。けれどここまで辿り着いたのは他の誰でもなく獅子雄のおかげで、せっかく与えられた機会を無駄にするわけにはいかない。私はやるべきことをしなければならないのだ。ちらりと蛇岐を盗み見れば、眉間に皺を寄せ神妙な面持ちで俯いていた。
「蛇岐」
「雛菊」
互いの名前を呼んだのは同時だった。ふたり顔を見合わせて、束の間の沈黙のあと会話の主導権を蛇岐に譲った。蛇岐は深くため息をついて後頭部を掻き、一言目を話し出すまでに随分の時間を要した。
「何から、話していいのか分からない。でも、この間は悪かった」
彼は広くて大きな背中を丸めて更に深く顔を俯けた。今まで見ていた堂々とした風貌は何処へ行ってしまったのか、まるで親に叱られる子供のようだ。
「怪我の具合は?」
「今はもう、何ともない」
彼の左腕にはくたびれた包帯が緩く巻きついて、血の滲んだガーゼが覗いている。とても適切な治療をして貰ったようには思えなかった。
「座りませんか」
私はベッドの脇に寄り、隣に腰かけるよう彼に促すけれど、蛇岐は以前の行いを悔やんでいるのか壁に寄りかかり突っ立ったまま動かず、少しも私に近付こうとしなかった。目を合わせることすら躊躇っているように思えた。
「……………俺が、今まで何をしてきたのか、分かってる?」
切れ切れに訊ねる蛇岐の瞳は不安で大きく揺らいでいた。私は首を横に振る。
「分かりません、きっと私には想像もできない」
そこで言葉を区切る。何と声を掛けてやるべきか何か上手い言葉はないものか考えたけれど、途中でやめた。上っ面の言葉など私と彼を傷つけるだけだ。
「だから、あなたと話がしたくて。………座りませんか」
蛇岐は俯いたまま爪先を丸めて、首の後ろを強く掻きむしった。そして両手で顔を覆い長く大きく息を吐くとその大きな足を引き摺って、今度は大人しく私の隣へ座った。分厚い身体を丸めるその姿はまるで主人に叱られた大型犬のようで、そうするべきでないと分かっていても堪えきれずに笑みが漏れた。目の前の硬い金髪を撫でて抱き締める。彼は抵抗もなくされるがまま、私を抱き返すこともしなかった。
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