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第51話

「………雛菊」 「うん」  消え入りそうな、とてもとても小さな声だった。私は柔らかく伝わるよう努めて返事を返したけれど、そこから先は続かなかった。蛇岐はだんまりを決め込んだまま、私の腕の中で動かずにいる。静かな呼吸だけを繰り返して。  息を吐いた。彼からの発言だけを待つ必要もないだろうと私も口を開きかけたけれど、やっぱり何も言えずに口を噤んだ。もう一度静かに呼吸をする。再び勇気をかき集めた。 「………私は」  話し出しても、蛇岐からの返事はない。 「私はてっきり、あなたと獅子雄さんはそういう関係なのかと思っていました。そうでなくても、少なくとも蛇岐は獅子雄さんを」  自らの想いを洗いざらい打ち明けたかったはずなのに、確信に触れる瞬間、私はどうしても意気地なしになってしまう。否定されても肯定されても、きっと私は納得できないのだろう。どんな返答であっても、きっと不満を抱かずにはいられない。そういう人間なのだ。 「あなたは、獅子雄さんを……………」  そしてまた、胸を締め付けられる想いに堪らず蛇岐の背に憎しみと怒りを込めて爪を立てた。私を置いて獅子雄のもとへ向かった蛇岐を許してはいないし、ナイフを突き立てられた恐怖など忘れられるはずもない。それでも私は彼に会いたい一心で、消費できず気持ちの悪い想いを抱えたくなくて、ただその為だけにここまで出向いたのだ。彼は私の腕の中で小さく身を揺すると、丸めていた背をゆっくりと正した。揺れる瞳の色に、悪い予感を覚えた。 「………雛菊に話があるんだ」  私は素直に頷いた。頷く以外の選択肢など最初からないのだから。彼は色を失った瞳をして、口先だけをぼそぼそと動かし、集中を切らせば聞こえなくなってしまうほど弱々しく、途切れ途切れに話し始めた。 「……………初めて人を殺したのは、たぶん、十二、いや十三、よく分からない。身体が少し大きくなり始めた頃、母親の恋人を」  悪い予感は、常に的中する。  生温い湿り気が全身を包み、背筋には滑った脂汗が伝った。覚悟はしてきたつもりだった。私の身にも、あんなことが起こってしまったのだから。彼は「そういう匂い」のする男だ。彼の腕に刻まれた傷を思い出し、生々しい恐怖が襲ってくる前に思考を真っ白に染めた。今は何も考えず、奥歯を噛み締めて彼の言葉に耳を傾けなければならない。そうでなければ私の震える両脚は今にもこの部屋を飛び出してしまいそうだった。  彼は蛇のような瞳で私を一瞥し、そしてすぐに逸らした。私の瞳の奥に隠した感情に彼はきっと気付いただろう。蛇岐は悲しみと寂しさと、そして諦めを隠しもせずにありありとその顔に滲ませた。 「俺の母親、とんだアバズレで、未婚で俺を産んだ上に父親が誰なのか本人ですら知らなくて。物心ついたときには色んな男が入れ代わり立ち代わり家に来て、俺のいる横ででかい声出してセックスしてんの。それが昼夜問わず毎日毎日続いてた」  原因不明の何かが喉につかえて、呼吸すら難しい。息を吸った瞬間、得体の知れない恐ろしいものが私を襲ってくるのではないかと意味もなく怯え、膝を震わせた。握った拳で口を覆い、彼にかけるべき言葉を探すことすらできずに黙りこくった。何も言えない、何も言葉が見つからない。彼は頬を引き攣らせて薄笑いを浮かべている。

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