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第52話
○ 久留須蛇岐
癖のあるだらしない髪が、脂ぎった男の肉体の上で蛇のようにうねうねと揺れている。それは金と茶色と黒が複雑に入り乱れて、毒々しいまだら模様に見えた。けばけばしく汚らしい化粧に、いくつもの香水が混ざりあったそれは鼻がまがるほどの悪臭だった。痩せ細った身体に派手な下着を身に着けた姿は色香や妖艶さなど皆無で、むしろその女の不憫さをまざまざと物語っているように感じた。
この女を母親だと認めたことは一度もない。母親の恋人からは度々暴力を振るわれたけれど、母親から直接手を上げられたことはなかった。けれど適切な養育をされた覚えもない。この部屋の中に漂う塵とまるで同じようなものだった。母親にとって俺はまさに塵と等しく、つまりあってもなくても気にならない、それはないものと同じだった。目の前で男と母が交わるのを幾度となく見せつけられ、いつもそんな塵と同じ扱いを受けていた俺なのに、何故かその時だけは興奮材料にされることがしばしばあった。
あれはいくつの頃だったのか、物心ついてすぐの頃だろうか。日付も時間も関係ない生活の中でテレビは貴重な情報源で、昼夜問わず点けっぱなしにしてあった。最近は慎ましやかな鈴と聖歌に、煌びやかに飾られたクリスマスツリーの映像が流れている。それを見るともなしに眺めていた。大きな教会のステンドグラスが光を浴びて輝き、それを背にした一体のマリア像が映し出され、聖書を持った神父がいやに恭しく「神のご加護があらんことを」と呟いた。
そこで映像は切り替わる。新たな番組が始まるまでの、およそ五分間のニュース番組だ。それを見ている間だけは、何故だかやけに穏やかな気持ちになった。今日は外の世界で何が起こったのか、上辺だけでもそれを知るだけで外界としっかり繋がっているような気になれたし、自分にはまだ、きっと今よりましな未来が残されていると思い込むこともできた。殺人や強盗、戦争、自殺、ストーカー、自然災害、交通情報、政治家の汚職、ゴシップ、桜の花が咲いただとか、動物の赤ちゃんが生まれただとか、良いものも悪いものも全部全部好きだった。難しい話はひとつも理解できないくせに、分かったように「ふうん」と小さく相槌を打つ、ただそれだけで満足できた。馬鹿馬鹿しいバラエティ番組が始まって、ほんの少し残念な気持ちになってゆっくりと音量を落とした。
腹が減れば、台所へ行き腐った流し台を漁った。濡れたごみ受けの中には虫のたかったカップ麺の残りと、その上には母親の吸った煙草の吸殻があり、俺は丁寧に煙草の灰を落としてから、ぐだぐだに伸びきった臭い麺を啜った。冷蔵庫に残っていた、いつのものかも分からないジャムを舐めた。かびたパンを齧った。使用済みのコンドームと一緒に捨てられていた惣菜のコロッケとマカロニサラダを、ごみ箱から拾い上げて無心になって食べた。
神のご加護があらんことを。
イエスもマリアも知らない俺は、それらを知るより以前にこんな仕打ちを受けている俺は、一体何を信じたらよかったのだろうか。祈る気力も信じる気力も削ぎ落されてしまった俺には、もう加護も救いもないのかも知れない。そんなことを思いながら今日もごみを漁った。そんな日がいくつもあった。
母は気まぐれに優しいこともあった。しかしそれはほんの一瞬で、男が変わったその日の、ほんの一瞬。髪も化粧も服装も整えられて、化粧台に無数に並べられた香水の瓶からとっておきのひとつを選び、艶めかしい香りを漂わせた。出掛ける前に卵とカリカリのベーコンを焼いて、それをテーブルに置くと瑞々しい声で「おいで」と手招きし、もう数日ぶりに食べる温かな食事に目を輝かせる俺の頭をひと撫でして母親は家を出る。母が俺を見てくれるのは、刹那のようなこの一瞬だけ。帰宅したらおしまいだ。酒の匂い、煙草の匂い、そしてひと際きつく匂うのは、嗅いだことのない男物の香水。そしてまた母は今夜も男と絡み合い、化粧台には香水の瓶がひとつ増えた。そんな日々は、途方もなく長く続いた。
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