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第2話 ニセモノオメガの涙

 オメガのセクサノイド、つまり、セックスの相手をするためのアンドロイド、なんて、すげぇゲスなオモチャが一時流行った。もう今から五十年くらい前の話。  オメガが発情期に発するフェロモンは人の理性を奪うほど甘美。でも、それを味わえるアルファは人口の一割程度。オメガの人口はもっと少ない。つまり、全人類の八割くらいがベータ、いわゆるオメガの発情期なんてわからないし、発情中のセックスも知らない人たち。  そしたら、知りたくなるだろ。  人類の進化は探究心によるもの、なんだってさ。だから、オメガとのヒートセックスはどんなものか知りたい、味わいたいと思ったバカどもは、オメガのセクサノイドを作った。人工の発情期は対象をアルファだけに限らず、ベータ含め、どのバース性にも発動する。  オモチャの価格はピンきり。高いものは限りなく「人」に近くて、安いものは少しお話のできる「人型のオモチャ」だ。  甘い甘い、極上の快楽を――なんて低俗な売り文句をくっつけて、販売されたセクサノイド。  大人気だったらしい。そりゃ、そうだ。アルファしか味わえないはずの性行為をベータだって体感できるんだ。一度は試してみたいって思う奴は多いだろ。ものすごくゲスな好奇心だけれど。  そう、ものすごくゲスな興味と好奇心でできたセクサノイドは、ある日、突然、製造を禁止された。  面白いよな。作ったのは人間。でも、そんなのは可愛そうだと、人権と同等の権利を、と馬鹿げたことを言い出したのも人間。  そして、すでに製造されたセクサノイドには権利を与えられ、普通の暮らしをさせて「あげよう」ってことになった。  寿命は、あるよ。一応、あって、時期が来たらちゃんと壊れる。永久に存在し続けるものなんて、この世にはひとつもないから。ただ頑丈だから、人より少し長く動き続けるだけの話。そして、寿命、とはいえないかもしれないけれど、機能が停止するタイミングはそれぞれ違う。 「五十年も前……にそんな」 「そ。あんたが生まれる前の出来事。学校で……習わないか。セックスドールのことだもんな」 「君も」  なんで、こんな話したんだろ。自分の悲劇的な誕生秘話? 別に悲劇的だなんて思ってない。ただ、残念な感じ、とは思うけど。でも、自分より良い環境で暮らす人をうらやんでも、それがどんなものなのか味わったこともない俺は自分のことを悲劇だと嘆いたりはしない。だって、俺は喜劇の味を知らないから、自分の手元にある悲劇しか知らなければ、嘆く理由が見当たらない。ただ時間を消費するだけ。 「トウ、だよ」 「え?」 「三枝トウ」  なんで、名乗ったんだろ。通りすがりのこいつに、自分の記号でしかない名前を、価値なんてない名前を。  知ってる。人は親に名前をつけてもらう。希望や願いを込めて、より良い人生を送れますようにって。でも、俺の名前は「トウ」、十っていう意味のトウ。作ってくれた技師の十体目だったから。 「三枝、トウ……」  たいそうな名前じゃない。そんな大事そうに呼ばれるような名前なんかじゃ。 「トウ、もういっぱいココア飲む?」 「え?」 「美味かった? このココア、輸入品でさ、中々出回らないんだけど。俺も気に入ってるんだ。たまに見つけると即買ってる。身体が冷えた時はこれ飲めば一発」  気が付いたら、手の中のマグは空になってた。甘くて温かいココアを、話しながら飲み干してた。 「まだ、乾かないだろうし」 「……」 「ヨレヨレにならないといいんだけど」  あぁ、そっか、このココアが甘いからか。こんなに甘くて美味しいものを体内に入れたから、どっか誤作動でも起こしたのかもしれない。こんなペラペラと自分のことを話すなんて、今まで一度だってなかったのに。 「別に、いらない」 「ぇ? トウ?」 「絵、何の価値もないからさ」 「……」  俺の絵を見て、才能があるって褒めてくれた。編集者がこれはいいって絶賛してくれて、色々話を聞きたいって呼ばれたんだ。美術に長けてるスタッフ数名と色々話してみてくれないかって言われて、俺は舞い上がってた。  浮かれながら、いつもどおり、身分はオメガって偽って、そんで、今日は編集者に頼まれたとおり、絵をいくつか持っていって、それを元に話をしたいって。オメガのセクサノイドって知られるといろいろ面倒だからさ。  でもそのミーティングの途中で、オメガじゃないってばれてしまった。俯いて、絵を描く様子を披露していた時、耳の後ろ、ちょうど、オメガならフェロモンを二番目に濃く発する箇所にある、セクサノイドの製造番号を見られた。うなじじゃ目立つから、耳とか髪で充分隠れるところにあるその印を見つけられた。普段、一度だって見つかったことなんてなかったのに。  ――え? 君、セクサノイド? オメガじゃないの?  どうしてあの時はバレたんだろう。まるで神様が嘘はいけないと諭したみたいに、偶然に見られてバレてしまった。  そして、掌を返したように話は止まった。全てが白紙に戻されて、それじゃあ、と帰らされた。 「つまり、あれ、運命のオメガが健気に描いた、美しい絵、っていうのが欲しかったんだ。オメガのニセモノセクサノイドが描いたニセモノの花の絵じゃ、価値はないってこと」 「……」 「価値なんて、ないって、こと」  人間じゃないからさ、飲まず食わずでもどうにでもなる。植物みたいに太陽光をエネルギーにするから、植物と一緒。外出て、干してもらえれば、また動けるようになる。だから、繊細さも、細さも、全部、ぜーんぶ、ニセモノ。 「でも、トウが描いたコスモス、すっごい綺麗だったよ。俺、植物好きなんだ。ほら、窓んとこ、あれミントなんだけどさ。まぁお菓子作るっていうのもあるけど、ああいう小さな葉でもちゃんと緑で綺麗だと思う。健気で」 「っ」 「トウの涙も、すごく、綺麗だよ」 「っ、これはっ」  一生懸命に描いたんだ。自然が好き。人は苦手。だから、好きなものを好きなだけ、絵にしてた。そしたら、上手いって言ってくれる人が出てきて、オメガ性特有の容姿を真似てるから、美麗な外見に繊細な絵。これはいいって、思ってもらえて、そして、結局どこかでセクサノイドだとばれて、評価の価値はゼロに戻る。もうそんなん、何回も味わってきた。もう、何度もセクサノイドであることを呪った。 「ひとりいたじゃん」 「は?」 「ひとり、いたよ」  涙を拭われた。イヤな機能だよな。涙とか体液とかちゃんと出るんだ。アンドロイドじゃなくて、セクサノイドだから。  これは機能。涙も機能のひとつ。 「トウの正体を知ってるけど、絵、綺麗だって思ったよ」 「は? あんた、バカなんじゃっ」 「一誠(いっせい)だよ」 「!」  涙を指先で拭ってくれた。そして、俺を見て笑ってる。 「目黒一誠(めぐろいっせい)」 「……」 「トウの、絵の、ファン一号」 「はっ?」  何、それ。 「悲しかったでしょ?」 「っ」 「トウがシャワー浴びてる間、ずっと眺めてた。綺麗な花、ひとつひとつ、ちゃんと描いてる。ねぇ、これってさ。ここに本当に咲いてるってことと変わらないじゃん?」  一枚ずつ花びらを描いて、色を重ねて、影をつけて、それを何回も繰り返してひとつの花を作る。それをまた何度も繰り返して、一本一本丁寧に、白い紙の上で育てた花。 「こんなに丁寧にひとつずつ咲かせたのに」 「絵だよ! そんで! 俺が描いたら、どんな絵でも価値なんてないんだ! ニセモノが描いたら、どう頑張ったって、その絵はニセモノでしかない! なら、描かないほうがいいだろっ! 無駄なんだから! 価値ゼロなんだからっ、だから! 画材全部捨てて、この絵だって」  全部捨てようと思ったんだ。そう吐き捨てるように言いかけた俺の鼻が一誠に激突して、鼻がツンと痛む。  画材も絵も、それと、絵描きになりたいっていう夢も全部、水溜りに浸して泥だらけにして汚いガラクタにしようって、そう思った。 「俺にはあったよ」 「!」 「少なくとも、世界にひとり、俺は感動した。人ひとりを感動させられる絵は価値ゼロじゃない」  鼻、いてぇよ。 「俺っ、絵、描くの好きだったんだ」 「……」 「自己流だけど、美術館通って、絵眺めて、家でたくさん練習した。この絵だって、すげぇ頑張ったんだ。めちゃくちゃ、褒められて、嬉しかったんだ」  鼻が痛くて、涙が出る。 「絵、一生懸命描いたのにっ」  セクサノイドはニセモノ、絵も何もかもニセモノ。でも、そのニセモノの涙はたしかに一誠のシャツを濡らしていた。

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