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第3話 ココアによる不具合
セクサノイドに「権利」が与えられてから、五十年。
人間は良い事をしたって嬉しそうに胸を張るんだろうけれど、それなら、いっそ悪役みたいにセクサノイドを片っ端から捕まえて、解体しててってくれたらよかったんだ。そのほうがよっぽど良い事だと思うよ。こんな中途半端に与えられた権利なんて迷惑以外のなにものでもない。
権利が与えられてたってさ、それが普及してなくちゃ意味がないんだ。差別は良くないってスローガン抱えてるだけじゃ、日常に転がっている差別の種はいくらでも育っていく。根絶やしになんてできやしない。看板掲げるだけじゃ絶えないんだよ。
そして、権利を与えられただけのセクサノイドは日常に溶け込むことを義務付けられて、苦しい思いをするんだ。
接客業をすると顔が顔だからさ、ごたごたに巻き込まれたり、からまれたりするから、俺は倉庫とか作業系の仕事を選んでる。できるだけ人に会わない仕事で、物に囲まれて、それこそアンドロイドみたいに。
作業向けの人工知能搭載ロボットじゃなくて、愛玩用のロボットだけど。
バカなんだよ。俺って。自分の正体がバレた時の反応なんてもう何回も味わったのに、なんで、懲りずにまた欲しがるんだろう。
セクサノイドだからそういう機能でもついてるんだろうか。いやしい機能。なんでも欲しがるっていう。
それとも、何も持ってないからかな。
だから、なんでも欲しいっていうか、少しで与えられると有頂天になるっていうか。なぁんにもない部屋でただ絵描いて、自己満足してればよかった。俺そのものが自己満足のために作られた物なんだからさ。
部屋はできるだけ物を置いてない。たくさん何かを持てるほど金持ちでもないし、物である俺が物を持つっていう違和感? をたまに感じるから。
ケーキ屋、一誠って言ってた奴の部屋はたくさんものが置いてあった。すごく綺麗にしてあって雑然となんてしてないのに、本とかたくさん並んでいて、あれ、ミント? 窓際に置かれた小さな植木鉢。俺の部屋にはない、ああいうの、すっごい可愛かった。なんか――あったかかった。
「……ン」
今も、あったかい。
「?」
それと、何? 甘い香り。ココアじゃなくて、これって……なんだっけ。えっと。甘くて、柔らかくて、優しい匂い。これは。
「!」
バターだ。
「あ、おはよう」
「……」
「眠れた? っぷ、あはは。寝癖付くんだ?」
バターの良い香り。
「飯、食べられる?」
ここ、俺んちじゃない。
「あ、いやっ……えっと」
え? 俺、泊まったんだ。一誠んとこに、泊まった? 会ったばっかの奴の部屋で、寝ちゃったのか? そんな、しかも、俺、人のベッドを、これどう見たって占領しちゃってる。今、ど真ん中に居座ってるし。
「その、食べ物は、好きじゃない」
信じらんねぇ。こんなこと一度だってなかったのに。なんで、そんな無防備なことしてんだ。いくら昨日はへこむことがあったからって。
「そっか。でも、ココアは大丈夫」
「あ、うん」
食べ物を噛んで飲むことはできるけど、そのまま身体を通過するだけしかしないから、だから、無駄にしているって実感すごくて嫌いなんだ。飲み物なら、分解して水分を摂取するから、使えるんだけど。
「ごめん。あの、俺」
「疲れてたんじゃない?」
「……」
まさか泣き疲れてそのまま寝るなんて。何してんだ。俺。
「また、ココアでいい?」
「え?」
一誠が笑って、マグカップをふたつ掲げて見せた。ココア、昨日のめちゃくちゃ美味くて、あっという間に飲み干してしまった。
「あ、いや、あの……」
そんなつもりなかったんだ。別に泊まっていこうなんて思ってなかった。でも、自分がけっこうなダメージを食らってたなんてことも思っていなかった。どのくらい寝たんだろう。セクサノイドも睡眠は必要で。一日で使った容量にもよるんだろうけれど、人みたいに疲れすぎれば睡眠時間は長くなるし、疲れてなかったら、寝なくてもいい。
「はい、どうぞ」
「……ごめん。なんか、俺、寝ちゃって」
「寝顔、可愛かった」
「はっ? はぁ?」
そりゃ、そうだろな。だって、オメガの模造品なんだから、顔の作りならそりゃオメガと同じレベルに可愛い顔してるよ。今までだって職場とかでそういうの言われたことあるし、絵でスカウトされる時にもそれは言われてる。顔、ようは人を惹きつける作りをしてあるんだ。オメガに似せて。なのに、なんで、一誠に言われて、こんなムキになって、慌てて、怒った顔なんてして。ものすごい幼稚なリアクション。いつもみたいに笑ってスルーすりゃいいのに。
ほら、一誠だって、面白がって笑ってる。
「……なんだよ」
「セクサノイドって、ほら、愛玩? 用なんだろ? の割には……」
「なんだよっ!」
「寝相、すごいんだな」
「!」
抱きついたまま眠った俺は、けっこうしっかりしがみついてたらしくて、一誠は身動きが取れないまま、ベッドに一緒に転がった。んで、そのまま寝たんだけれど、途中で蹴り飛ばされたんだって。俺は寝ててわからなかったけど、眉間に皺寄せて怒った顔して、邪魔そうに一誠のことを蹴って。ようやくひとりで悠々自適に眠れるって健やかな顔して、グースカ寝てたって。
自分の耳を疑った。
誰かと一緒に眠ったことなんて一度もないから、自分の寝相なんてちっとも知らなかったんだ。そんなだったなんて。何度かベッドから転がり落ちたことはあったけど。
こんなこと初めてだ。どっか壊れたのか? あ、もしかして、昨日の雨で本当にどこかが不具合を起こしてるとか? でも、別にアラームっぽいものは作動してない。それに、指先まで、うん、ちゃんと動く。
ココア、こんな甘い飲み物、あるのは知ってたけど、自分で牛乳使って、ココア溶かして、なんてするわけなくて、昨日初めて飲んだ。
甘くて、すごく……美味しかった。
そういや、たしかに身体が一瞬で温まったな。気持ちが解れて、なんか、余計なことばっかり話したけど。そんで、話しすぎて泣いて、泣いたら、寝てた。
じゃあ、やっぱこのココアのせいじゃんか。
「……」
「ココア睨んでどうしたの?」
「え? あ……」
パッと顔を上げたら、いつの間にか、パンケーキを食べ終わっていた一誠がココアの飲んで、ふわっと笑った。昨日、一瞬でポカポカにしてくれたココアから立ちこめた甘い香りのする湯気みたいに、ふわっと笑って、茶色の瞳を細めた。
ケーキ屋さん。
顔、めちゃくちゃカッコいいから、なんか、別に職業が顔でだけ決まるわけじゃないけど、でも、なんか、オフィスビルとかでテキパキとパソコン使って仕事してそうなイメージ。
そんなところで仕事したことなんて、一度もない俺の幼稚なイメージなんだろうけれど。
「絵、乾いたよ」
その茶色の、ココア色の瞳が横に逸れて、昨日、俺の描いた花の絵がぶら下がっていた辺りを見つめた。
「別に……」
別にそんなんいらない。分厚い紙だからメモ用紙にもならないけど、無理矢理切ればどうになるから、あげる。ホント、そんなん必死に描いてさ。
「言ったじゃん」
「……」
「トウの絵のファン一号だって」
静かに、しててくれ。俺の、内側。
「ね、本当にいらないの? 絵、昨日、捨てるものだからって言ってたけどさ」
違うから、これはそういうのじゃないんだから、静かにしてて。セクサノイドって本当にたちが悪い。一誠の何気ない励ましの言葉さえ、まるで違う意味に捉えて、大手を振って大喜びしようとする。
違うって。そうじゃないってば。そういうんじゃ。
「それなら、俺にちょうだいよ」
「……」
「あのコスモスの絵。俺、すごい好き」
そういうんじゃないってば。
「は? あんなん、価値は」
「俺にはあるよ。とても綺麗だと思った。だからさ」
静かにしろ。喜ぶな。
「だから、ちょっと買い物、付き合ってよ」
「……は?」
全然、違うんだからな。これは、ただの励ましの言葉なんだからな。そう何度もうるさいくらいに胸の内で言い続けていた。
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