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第5話 誤作動

 本物じゃないけど、オメガはオメガだから。人と接することのほとんどない仕事なんてそうたくさんあるわけじゃない。だから、職もけっこう転々とした。  でも、ここはずいぶん長いな。通販商品の倉庫管理業務。パソコンに送られてきた商品リストを見ながら、品番ごとに並んでいるストックから探して、台車に入れて、あとは別フロアに運ぶだけ。簡単だけれど、あまりに地味で、味気ない仕事で人気はないし、夜勤もあるから、就いてもすぐに辞めていく。でも、俺にしてみたら、人にほぼ会わずに済むから居心地がいい。 「えっと……Cの……」  冷暖房完備とはなってるけど、そうでもなくて、この時期になってくると朝晩は少し冷えてくる。  でも、寒さとか強いんだ。まぁ、元々風邪を引くわけがないから寒くても暑くても、不快っていうだけで、体調を崩してしまうわけじゃない。もちろん、あまりに激しい温度変化は堪えるけど、ここの倉庫の寒さも暑さも気になったことなんてなかった。 「……」  なかったのに、今日はなんだか気になる。寒いなぁって思った。 「ミント……」  冷え切った人の気配なんてちっともない倉庫の冷え切った商品たち。その中にビニール梱包されている空のポットがあった。小さなグリーン色の可愛い陶器のポット。ちょうど窓際に置いておけるその小さなポットにミントを植えて飾ったらいいかもしれないって。  帰りに買ってみようかな。あったら、ちょっと楽しい。俺でも育てられるかな。生き物じゃない、俺でもさ。 「すみません。交代で入ります」 「あ、はい。お願いします」  俺と交代で入ってくるアルバイトが顔をロクに見せないまま、小さく会釈をした。俺も、人付き合いが上手じゃないから似たようなものだけれど。ぶっきらぼうな挨拶をして、そして、仕事を上がった。タイムカードはそれぞれの部署で使っているパソコンで管理システムにログインすればいい。制服もないから着替えもなし。だから、本当に人付き合いが苦手な奴がたくさん集まっている。 「あ、えっと、Cからです」 「はい」  簡潔に用件だけ伝えると、その人は受け取った伝票だけに視線を向けながら、棚の奥に消えていった。他の部署はそんなことないけど、ここはそういうところだからさ。私語厳禁ってされてなくても私語なんてほとんどない。そんな素っ気ない倉庫。仕事そっちのけでおしゃべり、なんてこともない。  約九時間、ずっとひとりでだだっぴろい場所で作業してるから、仕事を終えて、会社を出る時、同じ時間帯に仕事を切り上げた人たちと遭遇するだけでも少し身構えてしまう。 「お疲れ様でーす」  そんな言葉が行き交う中を早足ですり抜けていく。  俺の発情期は本物のオメガみたいに突然始まるようなもんじゃないから、いきなり、この一般人の中でヒートを起こして大変なことになるわけじゃないんだけど。それでも、やっぱり、ちょっといやなんだ。  人に囲まれる、人と接触する。話をするのは。  だから余計に不思議で仕方がない。なんで、一誠のことはイヤじゃないんだろう。びっくりもしたし、戸惑ったりもしたのに、イヤな気持ちにはこれっぽっちもならない。 「あれ、ぜ……対に、オメガ、……ろ」  そんな声が聞こえた。わずかにだけれど、でも、あれって、オメガだろって、そう聞こえた。その瞬間、ぎゅっと体に力が篭る。  本物じゃないけれど、たしかにオメガだと思われても仕方がないようなそんな綺麗な作りの顔。細い体に白い肌。妊娠率を、人口の増加を狙って、出産をその性の主な理由に掲げたオメガなのに、なんで全部女じゃないんだろ。なんで、わざわざ男もいるんだ。男が好きな、つまり同性愛者のアルファだとしたってさ、理性ぶっ飛ばせるほどの快楽をもたらすヒートなら、そんな性的趣向関係なしで性交渉できるだろうにさ。っていうか、そうしてくれたらよかったのに。  そう……理性がぶっ飛ぶから、普通に怖いよ。そんな剥き出しの欲なんて、向けられるって思っただけで身が竦む。本物じゃないけど、もう五十年もただ動き続けているだけのラブドールとしてはポンコツな俺だから、何かの拍子に誤作動を起こして勝手にヒート状態に、なんてありえるかもしれない。それがたまらなく怖い。 「ねぇ、君さっ」  愛玩用のセクサノイドの機能なんていらない。 「あ、ちょっ、ねぇってば!」  絶対に、ヒートなんて、なりたくもない。  俺のヒート機能が壊れてくれますようにって何度願っただろう。そしたら、そこが壊れてしまえば、俺は一番、一般的なベータとほぼ変わらない存在になれるのに。  誰かに声を掛けられただけでこんなに怯えなくちゃいけないセクサノイドになんて、誰だって、俺だっていたくない。襲われるかもしれないなんてさ。見ず知らずの奴に好き勝手なんてされたくないって、ずっと、ずっと思って、ひとり身構えているんだ。  そして思わず手を握り締めた。 「……何してんの、俺」  気がついたら、一誠のケーキ屋へ向かって歩いていた。手が筆を持ちたいって言ってる気がしたんだ。怖さから、人がうじゃうじゃいる世界から逃げようよ、って手が、俺に逃げ道はこっちだって案内しようとしてる。  自分で壊したんじゃん。画材道具。うちの目の前に捨てたら絶対に拾ってしまいそうだったから、ここに自分の意思で捨てたんだろ?  ――トウ、絵を描くのはとてもいい訓練になるんだ。指先をたくさん動かすからね。自分で上手にコントロールして描いてごらん? そうだな。何をお絵描きしようか。 「……」  初めて描いたのは紫色のスミレ。  あの人が笑いながら指差したのは庭に咲いていた小さなスミレだった。これなら何色も色を使うから、色彩感覚と一緒に視覚と思考を繋げられるし、絵の具を使って指先でお絵描きをするのは良い刺激になる。指先をしっかり使って、絵の具の感触を確かめて、繊細な動きまでちゃんとスムーズにこなせるように。  ――上手に描けたらご褒美を上げよう。甘いジュースだよ。君は人工物だけれど味覚があるし、水分はその体内にしっかり溜めて活用できる。  そして、お絵描きを終えると必ずもらえる甘いジュースが嬉しかった。  でも、もうお絵描きはしない。 「……」  そう、決めただろ? オメガのセクサノイドはどんだけ絵を描いても見てもらえないってわかっただろ? あんなに悲しかったじゃんか。画材はいらない。不要なものって、もう決めただろ?  とても悲しかった。  ねぇ、三枝さん。俺はとてつもなく悲しい気持ちになったら、そしたら、稼動停止になるんじゃなかったの? 死ぬ、んじゃなかったっけ? そう言ってたくせに。  とても頑丈なセクサノイドは愛玩用だから、愛されるために作られたものだから、ひどく辛い悲しみを味わったら、機能停止になる。だって、そんな悲しい思いをするのは、もうきっと必要なくなった物なのだろうから。  ねぇ、そうなんじゃないのかよ。  絵を描いたのがオメガのセクサノイドだと知られて、掌を返されたように価値をゼロにされて、とても悲しかったのに。もう何もかもいらないって思えたのに、まだ俺は生きてる。なんで?  あの時、心底、悲しかったのに。 「やっぱり、トウだ」  なんで、まだ壊れてないの? 「こんにちは。って、こんばんは、かな」  俺の機能はまだ、停止してない。  ――大丈夫。ジュースを飲んでも誤作動なんて起こさないよ。飲んでごらん? 美味しいから。 「仕事の帰り?」  会いたいって思ったんだ。さっき声をかけてきた見知らぬ奴はアルファなのかベータなのかわからない。オメガだったかもしれないけど、そのどれであってもイヤだった。人は怖い。きっと物と同然に俺のことを扱うだろうから。  怖い思いをしたら急に見たくなったんだ。一誠の優しくてあったかい笑顔を。  一誠はアルファで、それこそ、俺は会わないほうがいい人種で、だからこそ、この前だって逃げたのに。 「悪いんだけどさ。トウ、ちょっと、見てほしいんだ」  一誠に会いたかった。  さっき声をかけてきた連中も、倉庫でほんの一言二言交わすだけの知らない人も、俺にとっては生身の人間で「怖い」対象だ。アルファである一誠はそのどちらよりももっと怖い対象の、アルファなはずなのに。 「……え?」  一番、怖くない人間だと思った。 「頼むよ」  心の支えにしてた絵を捨てて、絶望してもまだ翌日俺はちゃんと起き上がれた。  やっぱり、あの人の言ったことは嘘ばっかりなんじゃないか? 悲しい思いをしたら、とても悲しい気持ちになったら壊れるって言ってたじゃんか。でも、俺はまだ壊れてない。なら、甘いものを体内に入れても壊れないっていうのも、嘘かもしれない。一誠の作った甘い甘いココアを飲んだせいで誤作動を、起こしたのかもしれない。 「トウ」  じゃなくちゃ、アルファに自分から会いに行くなんて、不可解な行動はとらないだろ?

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