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第6話 くすぐったくて、戸惑う……
連絡先を知らないからどうしたらいいのかと思ってたって笑ってた。
俺が連絡先なんて教えるわけがないじゃん。一誠はアルファなんだから。セクサノイドの自分がすごく嫌いな俺にとっては一番会いたくない相手。
「これ、どう?」
それなのに、会いたかったんだ。
「……」
一誠のケーキは薄いピンク色のとオフホワイトの二色が優しい雰囲気の、小さな店。売っているケーキは美味そうだけど、場所がこじんまりとしすぎてて、小さすぎて、一見の客がふらっと入るのはちょっと気が引ける。そんな店の壁に飾られた、満開のコスモスの絵。木の額縁に入っていて、端の部分はしっかりと滲んでる。俺が描いた絵だ。
「……綺麗な絵だよね」
でも、俺が描いた絵じゃないみたいだ。こんな額に入れてもらったのなんて、初めてで、少し不思議な感じがする。
「う……ん……! あっ! ちがっ! 違うっ」
無意識のうちに頷いてしまって、慌てて掻き消した。綺麗だよねって言われて素直に頷いて、自分の描いた絵なのに見惚れてたんだ。セクサノイドが人間らしく動くために始めた絵だけど、絵が好きだったから、認めてもらえたのがすごく嬉しかった。それと同じくらい、こんなふうに飾ってもらえて嬉しかったって、慌てて、その喜びを掻き消そうと、首を横に振ったんだ。
違う、別に、そんな捨てようと思った絵なんて飾って悪趣味すぎるからびっくりしたんだって言って、上等な額に入れる絵じゃないし、この店が笑われるぞって。早く外したほうが。
「トウ、そういうのはよくないと思う」
早く外したほうがいいよって言おうと思ったら、頬を抓られた。
「君がこの絵を丁寧に描いていたのは見ればわかる。俺は絵の技法とか技術的なことなんてわからないけど、綺麗だと思ったよ」
一誠が怒った。
「俺が、そう思ったんだ」
怒って、絵を大事にしてくれた。
「…………あの、これ、いひゃい」
「! ごめっ! そんな強く抓ったつもりっ、バカ力だったかもっ」
いつも言われてた。俺を作った三枝技師に、セクサノイドだから快感はもちろんだけれど、痛覚も触覚は人並以上に備わっている。風邪は引かないし、寿命も来ないけれど、でも、人と同じように触って感じることができる。もしかしたら、人以上かもしれない。
だから、ごめんねって、よく言われた。
人にはしてあげられなくて、ごめんねって。
「うん。いてぇよ」
「わ、ホントだ! ごめん! 頬が赤くなってる。ちょっ、待ってて、今タオルをっ!」
「へーき」
これは痛いからじゃなくて、そういう作りになってるからってだけ。人との接触に敏感に反応できるように、肌がそうなってる。だから、ちょっと抓られただけで赤くなる。ただそれだけ。一誠が強く抓ったわけじゃない。たしかに、ちょっと痛いけど、そんな真っ赤になるほどなんかじゃなかったよ。
そう説明することに、胸の辺りが、ちくりちくりと痛む。敏感だから、その痛覚が何に反応したのかはわからない。もしかしたら、抓られたことがそうさせたのかもしれないし、さっき会社を出た時に、声を無造作に掛けられて、怖くて逃げ出した、あの時、通行人に肩がぶつかったからかもしれない。とにかく物理的で強めな接触がどこかで気がつかない間にあったんだと思う。覚えてないけれど。じゃなきゃ、胸は痛くならない。
今まで知らなかった痛み。けど、別に、大丈夫。怖いとかじゃない。
「一誠のせいじゃない」
本当は一誠のせい、なのかな。この変なアルファに会った日から、なんか俺は変なんだ。仕事して家に帰って、また仕事、その繰り返しの中でひとり黙々と絵を描いて満足してただけだった。ホント、あの雨の日から少し変なことはたしかだ。この、くすぐったいのは、どの感覚に入るんだろう。
ほら、今ちょうど感じてる、胸っていうか腹の辺りのくすぐったい感じ。
「でも、トウの頬……痛そう」
「? これ、何?」
「……あ」
本当にくすぐったくてじっとしてられなくなりそうだから、視線を一誠から外した。そして、目に飛び込んできた、看板。
「これ……何?」
「あーあははは」
深緑色の黒板にチョークを使って描かれた……たぶん、絵。絵、だよな? ただ、何を描いたのかはわからないけれど。ぐにゃぐにゃとした、丸のような、何か。
「チョコチップ、マフィン?」
「……ぇ、どれが?」
「その、看板にあるのが」
「……どれ?」
「それ」
一誠の指が指し示すそこをもう一度しっかりと見て、まず思ったこと。
「一誠って、アルファ、だよな」
「んなっ! 悪かったな!」
だって、アルファはなんだってできて、何したってトップレベルの秀でた才能の持ち主ばかり、なんじゃなかったか? こんな画力マイナスレベルの絵はアルファは絶対に描かないって思うじゃん。
「もおおお、そこは人それぞれだろ!」
俺は抓ってなんていないのに、一誠が頬を真っ赤にして、せっかくの看板を隠してしまった。
「いいなぁって思ってさ。絵」
コスモスを眺めれば眺めるだけ、綺麗で見惚れる。絵は一瞬でイメージを膨らませてくれるから、小さな黒板タイプの看板を大きな道沿いにひとつおいて置くだけで、集客が見込めたりしないかと思った。
「うちの店、奥まったところにあるだろ?」
「……」
「でも、俺、絵の才能壊滅的にないみたいなんだわ」
なんだろう、本当におかしいや。ふわりと浮かんだような、足元から軽くなっていくような。何これ。
「あの……俺、描いてあげようか?」
「えっ!」
「いいよ。俺でよければ。別に。チョコチップマフィン、でいいの?」
「マジでっ?」
うん、って頷いたら、真っ赤だった一誠の頬がピンク色に変わったような気がした。綺麗なピンク色。俺は人のための愛玩道具のひとつなのに、人が怖いからまともに顔なんて見たことがなかった。真正面から捉えたことがあるのは、作ってくれた技師の三枝さんくらい。人って、こんなに表情を変えるのは知らなかった。
三枝さんはいつも物静かで、いつも、少し寂しそうにしてたのをたくさん記憶してる。
「いいよ。そんくらい」
「うわ! ありがと!」
嬉しいと思った。不思議だ。こんな小さなお店だけれど、俺は絵を飾ってもらえた。わかったんだ。俺は個展を開くとか、編集者さんに色々してもらって、絵をたくさんの人の目に触れるようにしてもらいたかったんじゃないって。ただ、絵を認めてもらいたかった。
一誠から黒板を受け取って、キャンパスみたいに膝に置いた。少し重くて、使いづらいのかな。手が少しだけ震えた。
「額縁」
俺は、絵を、人に認めてもらって、大事にして欲しかったんだ。
「……ぇ? 何? トウ、声が小さい」
緊張してたのかもしれない。もしくは、なんか足元から軽くなったような感覚のせいなのかもしれない。
「……額、入れてもらって、嬉しかったから」
なんだろ。なんなんだろう。やっぱ、誤作動、なのかな。重いものを抱えて、くすぐったいって、初めてだ。だから、もしかしたら、あまり上手に描けないかもしれない。
ひとつ呼吸を置いて、チョークを指でしっかりと握った。
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