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第7話 黄金色のモンブラン

 今日から、たしか栗のケーキとか始めるって言ってたっけ。そしたら、やっぱ、モンブランがいいよな。ケーキの横に栗の絵も描いたほうが雰囲気出るかな。栗って、どんなだっけ?  立ち止まって、スマホで栗の写真を探して眺めて、あとはそれを白と赤しかないチョークでどう描こうか、頭の中でシュミレーション。  うん。これならいいんじゃないか?  お客さんが来てくれますように。  なんで、こんな奥まった、ひっそりとしたところにケーキ屋作ったんだよ。そう言ったら、一誠は少し困ったように笑ってた。  だって、一誠のケーキ美味そうじゃん。俺は無駄にしちゃうから食えないけど、良い香りがしてる。甘くてさ。あそこにいると、なんか、楽しくなれるんだ。気持ちがほぐれる。 「トウ、お疲れ」 「……あぁ」  大通りから小道に入ったところにある小さなケーキ屋。この店の手前にある電信柱んところがゴミ置き場になってたんだ。  小道に入ったら、一誠が店の扉を開けて、笑顔で出迎えてくれた。太陽にみたいに明るくて温かくて優しい笑顔を真っ直ぐに向けられると、人慣れしていない俺はいつも仏頂面になる。「あぁ」とか「おー」とか、そんな返事くらいしかできない。それでも、いつも一誠は笑ってくれる。 「あ、なぁ、一誠、今週から栗使ったお菓子出すっつってたじゃん。だから、モンブランとかがいいかなって」  話しながら。外から持って来た看板を膝の上に置いた。一週間前の俺が描いたケーキの絵。この時は、俺の話をたくさんした。仕事のこと、夜勤もある倉庫での仕事なんだって言ったら、本気で心配されたっけ。大丈夫なのか? って、生身の人間じゃない俺のことをそんな親身になって心配するなんて変な奴って言ったら、ちょっと本当に怒られた。  そういう問題じゃない、だってさ。  だから、大丈夫。もう慣れたもんだよって話して。そしたら、今度は帰り道の心配をされた。うん。俺もそこは気をつけてるよ。オメガのフェロモン出してなくたって、セクサノイドはセクサノイドだから。そういう相手をするための物だから。でも、俺はいいように扱われるなんてまっぴらなんだ。だからすごく気をつけてる。 「一誠の作るモンブランって、どんな、ぁ、これか。へぇ、めっちゃ美味そう」 「トウ」 「ん?」 「……少し」 「!」  一誠が笑ってくれると、ホッとするのに。たまに、動けなくなる時がある。思考が一瞬、止まるんだ。肌が敏感に作られてるから? だからなのかな。一誠がちょっとでも俺に触れると、感電したみたいに、身体が動かなくなる。 「……太った?」  どこかショートしたみたいに。 「んな! 太ってねぇよ!」 「あははは。ホント? だって、なんか」 「失礼だな!」  ホントは来ちゃいけないのかもしれない。オメガ性と同じものを持っている俺は、アルファの一誠の近くには来ないほうがいいのかもしれない。でも、約束しちゃったからさ。俺の絵を額に入れてくれたのが本当に嬉しかったから、そのお礼がしたいんだ。ケーキ屋の看板、俺が毎週描いてあげるって、約束した。何枚とか、いつまでとかそんなの決めてない。毎週月曜、ここに、俺が来たら、看板描いてあげるって、そう約束したんだ。  拘束力なんてこれっぽっちもない約束。俺の気が向いた時だけ来て、描いて、それを一誠が受け取るだけ。  俺はひねくれてるからさ、へのへのもへじみたいな変なの描いたら、どうすんだよって、口をへの字に曲げながら訊いた。そしたら、やっぱり一誠は笑ってた。笑って。  ――ファンはどんな線の欠片だって大喜びするんだよ。  そう言って、俺が、あの時はフォンダンショコラの絵を描いた看板を受け取った。 「今日は日勤だったんだ。トウ」 「あぁ」 「疲れてない? もうそろそろ倉庫とか寒いだろ? ココア今作るよ」 「ん」  一誠と話しながら看板を描くのは楽しい。たくさん話したんだ。仕事のことだけじゃなくて、うちの築何十年のオンボロアパートのこととか。あと、実はゴミだけ出しにここに来たんだって言ったら、それは不法投棄だぞって怒られた。本気じゃないよ。怒られて、俺を見て笑ってた。そして、そんな一誠を見て、今度は俺が笑って。  だから、別にいいよ。いくらでも、話しをしながら、描いてたいんだ。簡単だから遠慮しなくていいし。 「俺なんかの絵で客増えたりすんの?」  今日は、モンブラン。  甘い甘い、栗のクリームと、あと、一誠のところのはスポンジ中にもクリームが入ってる。外は和栗の中はまた違う栗の。色も風味も違うから、こってり甘くても美味しい、はず? って、最後だけ自信なさげにするから、美味いに決まってんだろ! って、言ってやった。  食べてもいないのに?  そう言われたけど、わかるんだよ。食べてなくたって、栗の甘い良い香りがしてるから、そんくらいわかるよ。  ――食べてみてよ。  そう言われる度に断ってる。食べられないよ。もったいねぇじゃん。一誠が早起きして一生懸命に作ったものをそのまま何も吸収できずに捨ててしまうなんて申し訳ないから。だから、食べられない。 「……そうだなぁ」 「増えてないんだろ」  一誠はカウンターの中にいて、俺は外にある小さなテーブルのところに座ってる。客なんて来たことないから、別にここで描いてても大丈夫だろ。そう長い時間かかるわけでもないし。誰も来ない。俺と一誠しかいねぇんだし。  その時だった。  カランコロンって、乾いた呼び鈴の音と一緒に、一誠の明るい声が「いらっしゃい」って、言った。 「お決まりになりましたらお声がけください」 「えっと……」  女の人だった。二十代くらい? の、けっこうな美人。薄いシルクっぽいブラウスにスカート。全部がケーキのクリームで作ったレースみたいにひらひらふわふわ。 「モンブランを、ひとつと……」  そして、俺が今、描いている甘い甘いモンブランを買っていった。甘いクリームがクルクルとスポンジケーキに巻きついて、上に大粒の栗が乗っかってる。黄金色をした綺麗なケーキ。 「ほら、お客さん、いただろ?」  ここのケーキ屋に客がいたのを初めて見た。一誠が接客してるとこ初めて、見た。 「実際、看板を向こうに出してからお客さん増えたよ」 「……」 「トウのおかげだ」  当たり前だけど、笑ってた。親切、そうだった。 「ありがとう」  当たり前なんだけど……なんか。 「別にっ」  なんか、なんだろう。これは、なんだろう。変な気持ちがする。なんとも言えない。あまり気持ち良くない、気持ち。  誰か、自分以外の誰かのせいで、気持ちが変化する。そんなの初めてだ。他人の視線に慌てて背中を丸めたり、恐怖してみたり、そういうことなら何度もあったけれど、これはそういうのとはと違う。 「トウ? どうした? 今、ココアを」 「いらない」 「え?」 「明日、夜勤だったの忘れてた。もう帰る」 「トウ?」  看板は「ここです。ここにあります」っていう目印。奥まったところにあるこんな小さな小さなケーキ屋なんて、看板のひとつくらいなくちゃ皆素通りしてしまう。 「トウッ?」  最近、客が増えたって言っていた。それなら。 「トウ!」  なんか、急に、看板を描きたくなくなったんだ。どうしてかモンブランを今は描きたくなかったんだ。

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