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第9話 ひねくれもの

「……待ってたの?」  一誠の頭のてっぺんが丸見えだ。俺は少し背もあるし、あそこまで、折れそうなほどには細くない。どんな相手にも対応できる汎用サイズ。でも、一誠はそんな俺よりも背が高いから、あまり、この頭のてっぺんは見たことがない。  しゃがみこんで、安堵の溜め息をコンクリートの地面に落っことして、そして、俺の手首を掴んだままだ。 「待ってた」  その言葉に、ずっときつくて、丸まって寝るようにしながら堪えてた胸の辺りがくすぐったくなってくる。 「もう来ないかもって、ずっと店のカウンターから道路のほうばっか見てた」 「……暇人」  あ、また、俺は可愛くないことを言ってる。先週の月曜日、いきなり看板のことほったらかしで帰った俺に、一誠がイヤな気持ちになってるかもって、いっつも可愛くない無愛想な返事ばっかしてて呆れられるかもって、そわそわしたくせに、なんでまた、こういう返事をするんだよ。 「うん。暇だったよ」 「……」  一誠はいつだって真っ直ぐで、素直なのにさ。 「看板、トウに描いてもらえてないから、お客さん、ちっとも来なかった」 「……そんなん」 「本当のことだよ。って、こういうの、ダメ?」 「は?」  何が? っていうか、この手、いつまで俺の手首掴んでんの? 別に帰らないし、これじゃ看板運べないじゃんか。 「気が向いた時だけ来てくれたらいい、って言ったでしょ? トウが気兼ねしないように、トウの負担にならないようにって、そう思って言ってたんだけどさ」  トウの手は、笑顔と同じくらいにあったかくってさ。この一週間でグンと秋が深まってきて、朝晩の冷えが厳しくて肌寒かった俺にはやたらとあったかくて暑いくらいだ。仕事とうち、その二箇所にしかいない俺は、溜め息の回数ばっか増えて、その溜め息の度に重くなっていく気がする部屋にずっと篭ってたから、仕事中だって倉庫でひとり作業だから、声を出して話すことなんてほとんどなかった。  頬も熱いし。だから、声が出しにくくて。 「別に、俺はっ」 「うん」 「俺はっ」  だから、やっぱり不貞腐れてるみたいに短い返事しかできない。 「看板簡単だし。別になにも気にしてない」  怒ってるみたいな口調にしかなれない。 「ホント?」 「あぁ」 「迷惑じゃない?」 「あぁっ! って、言ってるだろっ」 「ならさ」  だって、一誠が余りに真っ直ぐ俺のことを見上げてくるからだ。しゃがみこんで、俺の手首掴んだまんま、俺だけに向けられる視線。 「なら、毎週月曜日、看板描いてよ」 「……」 「バイト代、払うからさ」  顔面が発熱してるから、ぷいっとそっぽを向いて「いらねぇし」なんて呟くくらいが精一杯だ。 「本当にバイト代いらないの?」 「いらないって、言ってるじゃん」 「でも」 「いいってば!」  この会話、何度目だよ。 「……ありがと」 「こーんな、看板ひとつないくらいで客がちっとも来ないような、赤字のケーキ屋からバイト代なんてもらえないだろ」 「手厳しいな」 「なっ、だっ、だって」 「トウの絵の価値分くらい払いたいじゃん」  変。なんで、また胸の辺りがぎゅっとしたんだ。 「ココア」 「トウ?」 「あの、ココア、めっちゃ美味しいから、あれがいいんだよ」 「そう? ありがと」  一誠がふわりと笑う。ちょっとだけ首を傾げて笑うんだ。  その笑顔を見る度に、胸のところで何かが触れ合うような感じがする。くすぐったくて、俺はそれを誤魔化すように並んでいるケーキを眺める。 「これで、明日からモンブラン多めに作らないと」 「あの看板ひとつで、そんなに売れ行き違うもんなの?」 「違うよー。けっこう違う。でも、あの看板見てうちに寄ってくれたのに、そのケーキがなかったら悲しいだろ? だから、少し多めに作っておくんだ」 「……変なの」  普通、逆だろ。ケーキを売るための看板なのに、看板に合わせて、作られるケーキの数が変わるなんて。 「……ただの看板じゃん」 「そうだね。トウが描いてくれた看板だ」  一週間に一度顔を出すこのお店。その週一ペースは何も変わってないのに、なんで、こんなに久しぶりな気がするんだろう。 「そんな大事?」 「あぁ」  即答とかされて、一瞬で顔が熱くなる。 「……ふーん」  素直に「ありがとう」って言えたらいいのに。 「……じゃあ、ケーキ買ってくれるお客さんは大事?」 「? そりゃあね。美味いって思ってもらえたら嬉しいよ」 「じゃあ、客増えてよかったじゃん」  なんで、こう、ひねくれるんだろう。今、俺、ちっとも良くない顔をしてそんなことを言ってると思う。 「あぁ、トウの看板見て、俺の作ったケーキを買ってくれたら、最高だ」 「……」 「君が呼んで、俺が作ったケーキが売れるって、なんか、ちょっと楽しいだろ?」 「……」  俺の絵を大事にしてくれることが嬉しかった。本当に嬉しくて、飛びつきたくなるくらい。ケーキが売れる度に、一誠もそんなふうにお客に対して喜んでいるのかと思うと、少し、気持ちがぎゅっときつくなった。  でも、ケーキを買いに来るお客を、俺が呼んで、そんで買ってもらって、一誠が喜ぶ。そう気がついたら、胸のところで感じた苦しさが一瞬で消えた。 「そうかもなっ、いいんじゃん? 一誠が楽しいんならさっ」  消えて、嬉しくてたまらないくせに、やっぱり捻くれてしまう。さすがにこれは嫌な感じかなって思って、カウンターの中にいる一誠をちらっと見たら、こっちを見て笑っていた。  結局、なんか、今日は一誠が店を締めるまで、あそこに居座った。看板なら最初の十分で描き終わったよ。んで、そのあと、ココア飲みながら話し込んで、閉店までいた。その間にお客が来たけど、俺はあの時みたいな気持ちにはならなかった。 「……」  一週間前、気持ちと一緒にベッドの底に沈むくらい重い気持ちでここに倒れ込んだけど。 「来週、何、描こうかな……」  同じベッドに寝転がって、布団の中に埋もれてるけど、でも、一週間前と全然違う。誰もいない部屋で、イヤな気持ちを隠すように布団に顔を埋めてた。でも、今はひとりでにやけてるなんておかしな自分を掛け布団で隠してる。  なんでか、すぐににやけてしまって、ヤバい人みたいで恥ずかしかった。

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