19 / 50

第19話 好きに酔う

 昨日は眠れなかった。服、これで大丈夫なのかわかんなくて、ずっと、一日中、ひとつの言葉が頭の中をグルグル周りまくってた。  どうしよう。どうしょうどうしょうどうしょう――って、頭の中で騒いでた。そんな一日だった。 「トウ? 電車酔いした?」  乗り物の定期的な揺れの中で、心配そうに覗き込む一誠に急いで首を横に振る。電車酔いはしてないけど、でも、人が多いから緊張する。こんなたくさんの人がいる場所なんて、俺はほぼ来ない所だから。 「無理させた?」  その質問にも首を横に振った。でも、それだけじゃ充分じゃない気がしたから、ちゃんと話した。  無理なんてしてない。俺も来たいなって、思ったから頷いたんだって、小さな声で。周りの誰にも聞こえないくらいに小さく。  ――遊園地、行こうよ。  そう、丁寧に、大事にデートに誘ってもらった。最初に頭の浮かんだのは「楽しそう」っていう言葉だった。その次に浮かんだのが、人がいっぱいいるとこに行って、平気かなって、こと。きっとものすごく緊張する。変な奴って思われそう。人慣れ皆無な奴がいきなり遊園地で、デ、デ……デートとか、ハードルいきなり上げすぎだ。でも、そんな首を横に振る理由よりも、もっと真っ先に出来てきた言葉を一誠には伝えたんだ。  ――いいよ。行ってみたい。  そう、答えた。  答えたけど、ハードル高いことは高いんだよ。こんな、この車両にいる人のほとんどが同じ遊園地へ向かってるのか? こんなに大勢? これ、いくつ車両あるんだっけ。一誠が言うにはこの路線はほぼ遊園地目的の人しか乗らないって言ってたけど、まだ目的地までけっこうあるんだけど。ほら、また乗ってきた。どんどん増えてってる。その人数が遊園地に入ったら、めちゃくちゃ混んでんじゃん。ぎゅうぎゅう詰めなんじゃん。  だから、俺みたいなのが入って大丈夫なのかなって。緊張に心配が混ざって、乗り物酔いしたみたいに無口になってじっとしてただけ。思考フリーズっていうだけ。 「今日は月曜だからすいてそうだ。よかった」  は、はぁ? これで? こんなに電車ン中がぎゅうぎゅうなのに、これですいてるのか? これでか? そしたら、遊園地ってどうなってんだよ。俺、そんな中に。 「大丈夫だよ」  ぎゅって、手を握ってくれた。一誠が手を繋いでくれて、あったかいのが掌から伝わる。 「あー……つまり、あれ」 「?」  何? 頬を指先でカリカリって引っ掻いて、俺から視線を逸らしたと思ったら、ひとつ、小さく咳払いをした。 「デートなんだし、俺のことだけ見てればいいんじゃないか、なー……と、ね」 「……」  一誠って、カッコいいと思うよ。アルファだから、もちろん容姿端麗で、きっとスーツ着てビシッと決めたら、ベータの女がばったんばったんって卒倒すると思う。でも、真っ赤になって、ほっぺた掻きながら、そっぽ向いて気恥ずかしそうにそんなことを言うのを見てるとさ。アルファでもベータでもなくて、一誠は、一誠だなって。 「っぷ」 「はぁ……トウが人ごみに緊張したり戸惑ったら、これを言おうって思ってたんだけど。予想とは大幅にズレた。カッコわる」  そんで、俺はこういう一誠だから、こんなに好きになったんだなって。こんなにたくさん人がいる電車に乗ったのは初めてなんだ。いつもは自転車とか歩きとか、自力で通える方法で職場まで通ってる。遊園地なんてもちろん写真で見たことがあるだけで、行ったことなんてない。 「ううん。カッコよかったよ」 「思ってないだろ。すっごい笑ってる」 「カッコよかったって」  本当にそう思ってるよ。 「ほら、笑って」 「ありがと」  手をぎゅっと握り返した。あったかい手に温めてもらった掌でぎゅっと一誠に捕まって、その肩にほんの少しだけ寄りかかって、自然と緩む表情のまま見上げた。 「一誠とデートすんの、すごい楽しみにしてたんだ」 「……」 「マジだよ。人がいるのはビビるけど、でも、一誠だけ見てていいんだろ?」  大丈夫だよ。遊園地デートに誘われて、真っ先に頭に浮かんだのは冷ややかな人間の群れに恐怖する自分じゃなくて、一誠とこんなふうに手を繋いで、色鮮やかな遊園地の中を歩く俺だったから。それをしてみたいって思ったから。 「トウ、混んできたからこっち」 「ぇ、あ……う、うん」  たしかに人がまた乗ってきた。きっと大きな駅なんだ。なだれ込んできた人から俺をさらうように懐に連れ込まれた。  すごく近くて、これはこれで緊張する。  今、窓と一誠に挟まれて、その腕に両脇をガードされて、たった一人しか入れないスペースに閉じ込められた。  この腕で作った箱の中には俺だけ。その向こうに人がたくさんいる。 「トウ、平気?」  今までだったら身を竦めて、全身ガッチガチに硬くして、何も起こらないことを、自分が誰からも見えることのない小さな砂粒にでもなれないだろうかと、願って小さくなってた。 「うん。へーき」 「そ? よかった」  安堵の溜め息、なんだと思う。抱き締められてるみたいな体勢で、一誠の吐息が耳元でこそばゆく感じられる距離。見上げたら、少し苦しそうな顔をしてた。 「一誠は? あの、乗り物酔いした?」  吐きそうとか? そしたら、俺が逆に背中で皆から一誠を守ってあげたほうがいいんじゃないか? 「あの、俺、そっち代わるよ」 「平気。大丈夫だよ」 「でもっ」  具合悪そうじゃん。眉間に皺寄ってるし。 「平気。これは乗り物酔いじゃなくて」 「?」 「トウの甘いのがすごくて、クラクラしただけだから」  蜜香。好きな人ができたら、恋をしたら香る、特別な匂い。相手を誘惑しようと甘い香りを漂わせるんだ。 「ぁ…………ご、ごめん」 「へーき。だから、トウはここにいて」  この至近距離で香られたら、たしかに、しかめっ面になる、よな。 「……はい」  小さく返事をしてその懐に全身を預けたら、また意図してないのに強く香ったのか、耳元でもう一度深呼吸している音が聞こえてきた。

ともだちにシェアしよう!